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   金尾山城 埼玉県大里郡寄居町波久礼字金尾山 2023.4.27 訪問
 ~ 築城者 藤田重利 築城年 天文5年(1532年) 主な城主 藤田氏? 廃城年 ?(小田原の役で開城、廃城?) 遺構 曲輪、土塁、空堀 ~
要害山について『風土記稿』によれば、「金尾彌兵衛という者居れりとぞ、今愛宕社を勧請す、因って愛宕山という小山なり」とある。この「金尾」と言う者は、『鉢形北条家臣限録』に見える金尾彌次郎兵衛のことではないかと思われる。要害山城跡は、大字金尾字要害山に所在する複郭式山城であり、中世の名城、鉢形城西方及び後方の守り支城として古道の監視と天神山城花園城鉢形城などを結ぶ連絡城としての機能を合わせ持ち、天文元(1532)年藤田重利の築城と伝えられている。要害山城は、標高約225mの山頂を中心に二つの部分からなり、北の部分では山頂が一の曲輪であり、その下に二の曲輪、中央に愛宕神社が祀られ、平坦地となっている。南、北に二か所の虎口があり、一の曲輪西、北の急峻な裏山には竪堀や堀切が残っている。また、南側遺構では、北側より築城時期が新しいとされ、南へ向けて尾根に細長く三の曲輪、南の曲輪があり、南北を結ぶ土橋跡がある。釜伏山から北に延びた尾根筋のひとつが、荒川右岸にかかる尾根の途中と、要害山南側、南曲輪先端の堤に堀が切ってあり、城域を設定している。往時は、岩田方面(長瀞)からの敵を撃退するための堀切であったことは間違いなく、この金尾峠を城郭に取り込むため、三の曲輪、南曲輪を増築したものであろうと言われている。(町史要害山・金尾の歩みより)(寄居町観光協会 金尾支部 つつじ保存会)が現地に設置の説明板より引用)