天神山城 埼玉県秩父郡長瀞町 2017.11.27 訪問お知らせ |
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~ 築城主:藤田氏(藤田重利?) 築城年:天文年間 主な城主:藤田康邦、北条氏邦他 廃城年:天正18年(1590年) 主な遺構:空堀、土塁、石垣 別名 白鳥城 ~ | ||
天文年間に藤田重利が築城したと伝えられている。1546年(天文15年)の川越夜戦以降に北武蔵に勢力を伸ばしてき た北条氏康に重利は1549年(天文18年)7月従属した。1560年(永禄3年)に上杉謙信が関東侵攻を開始すると藤田氏は上杉方についた。しかし、同年9月に北条氏によって攻め落とされた。1564年(永禄7年)頃に北条氏康の四男である氏邦が入城した。氏邦は1568年(永禄11年)10月から翌年9月の間に鉢形城に居城を移したが、その後も天神山城は使われ続け、1590年(天正18年)の小田原征伐の際に、鉢形落城と共に開城したといわれている。 |
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大手桜…天神山城の大手門にあった桜とされている。一方では、荒川沿いの田圃の中にあった城(田城という地名がある)との説もある。 | 秩父鉄道「野上」駅が最寄り…ここから約30分歩く。 | |
高砂橋上から荒川を見下ろす… | ||
白鳥神社…この神社の横から入山するのが最も分かりやすい。北条氏が白鳥大明神を崇敬していたので近くにある根小屋城を天神山城と改めたと伝えられている。 | ||
白鳥村道路原票との標示柱…神社のすぐ横にあった。 | ||
今回も、余湖さんのホームページから鳥瞰図を拝借しました…この図の上の方の城の絵があるところが本丸だが、先ず、神社の横の道(右上の写真)からこの本丸を目指した。 | ||
上の写真の先にはこのような山道が… | ||
この様な、緩やかな山道を登る… | 山頂に近づいて、右側の崖を見下ろす…腰郭的な削平地が見える | |
山頂の、模擬櫓の一部が見えてきた… | ||
山頂の尾根上に出たら、すぐ左への階段があり、その先に朽ち果てた模擬櫓が… | ||
櫓前の削平地の西端から一段下の腰郭状のところを見る… | ||
模擬櫓の入り口部分から、内部を覗き見る…二層三階櫓か?床の木製の枠が折れそうであったので、中には入らず。売店の陳列棚のようなものが見える。上層階への階段が見える。 | ||
櫓の右手(東)側を見る… | ||
櫓の反対側(北側)に来た…ここは削平地になっており、一角には小さな社があった(右下の写真) | 櫓の西側を見る…危険なのでこれ以上は進めず… | |
櫓北側の削平地の一角に社… | ||
主郭の北側…この先に小さな郭と堀切がある筈(通路分からず行けず) | 模擬櫓の北面…鉄筋コンクリート製の立派な建造物。よく、ここまで資材を運んで建てたものだ。ちゃて物の下部はコンクリートががむき出しで見える | |
模擬天守を南側からもう一度見る… | ||
右の写真の橋上から、東側の堀底を見る…この堀切が現存する立派な堀切だ。 | 模擬櫓から、2の郭方向へ行く…この橋は鉄製で、主郭と2郭の間の堀切に架かる。 | |
こちらは、橋上から西側を見下ろしたもの… | ||
橋を渡って、2の郭に入る…ここは細長い大きな郭だ。ここは造成による改変が大きい。現状では最大幅約30m、長さ約110m程。 | ||
2の郭に入ってすぐ左側に、建造物が…どうやらトイレのようだ。 | ||
2の南端に近づくと、物見台的な建物が…鉄製であり、観光地化の際に作ったものだろう。 | 特段整備されているわけではなさそうだが、比較的歩きやすい… | |
左の写真の物見台的な建物がかすかに見える… | ||
2の郭の南端部分か…ここからでもかすかに物見台が見える。 | 2の郭の下には、腰郭が見える… | |
この下は横堀りのように見える… | ||
2の郭と3の郭の間の堀切の一つ目(2本ある筈)と思われる…かなり改変されているようだ。 | ||
ここまで堀切… | ||
2の郭の端に来たようだ… | 2の郭と3の郭の間の堀切のひとつ(2本目?)… | |
ここの下にも腰郭らしき場所が… | ||
2の郭の端に来ていると思うが、その先の3の郭へは少し離れているはず。ここから先は一段下がっており、降りる通路も危険であり、断念して引き返すことにした…ずいぶん改変されているようだが、雰囲気は十分楽しめる。 | ||
アクセス:秩父鉄道「野上」駅下車、登山口である白鳥神社まで徒歩約30分
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