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鉢形城 埼玉県大里郡寄居町大字鉢形 2013.9.18 訪問 2017.3.16 再訪お知らせ

 ~ 築城者 長尾景春 築城年 1476年 主な城主 長尾氏、藤田氏、北条氏 廃城年 1590年(小田原の役で開城、廃城へ) 遺構 曲輪、土塁、石垣、空堀、水堀 指定文化財 国の史跡 日本100名城(18番)に選定 ~ 
 鉢形城は、荒川に臨んだ絶崖上に位置し、南には深沢川があって自然の要害をなしています。文明8年(1476年)に長尾景春が築城し、その後上杉家の持城として栄えました。室町時代に至り、上杉家の家老で、この地方の豪族であった藤田康邦が、北条氏康の三男氏那を鉢形城主に迎え入れ、小田原北条氏と提携して北武蔵から上野へかけて拠点としました。城跡は、西南旧折原村を大手口とし、東の旧鉢形村を搦め手としています。本丸、二の丸、三の丸、秩父曲輪、諏訪曲輪等があり、西南部には侍屋敷や城下町の名前が伝えられており、寺院、神社があり、土塁、空堀が残っています。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家、上杉景勝、本多忠勝、真田安房守らに四方から攻撃され、三ヶ月の戦いの後、落城しました。(寄居町が現地に設置の説明板より抜粋・編集)
東武東上線「鉢形駅」…鉢形城址まで1.3kmとの案内標示が 鉢形駅舎…ユニークなデザインで、HACHIGATA STATION との標示が 笹曲輪の一画に「史跡 鉢形城址」の碑が、また1/250の鉢形城復元模型がある。
  笹曲輪・復元模型のところに設置の現地案内版より。地図の現在地の場所から西に、荒川に沿って、概略、本曲輪~二の曲輪~三の曲輪~外曲輪橋の順に歩いた。
        
笹曲輪にある1/250復元模型 手前が荒川、中央の川が深沢川、手前の荒川と深沢川の合流の地点のちょっと右に(現在は)正喜橋が掛かっており、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害となっている。   復元模型を本曲輪側の土塁より臨む
     
 本曲輪の土塁を見る
 
本曲輪の上がる土塁に石垣の一部が見られる    左の場所の続きの部分の石垣、「石垣」との案内碑がある 本曲輪内の、荒川に面した土塁上より曲輪を見る…
 同じく、本曲輪の土塁上より見る。この柵の向こうが荒川 土塁上より荒川越しに反対側の住宅街を見る 本曲輪を土塁から見下ろす
 鉢形城本丸址の碑  本郭と伝御殿曲輪の間の堀切跡…  伝御殿曲輪の案内標示…
      
 伝御殿曲輪の南端で、本曲輪へ降りる階段…この左側に(道路を挟んで)二の曲輪・城山稲荷神社が  伝御殿曲輪から崖下の本曲輪を見る… 
     
伝本曲輪全景を見る…奥が荒川に面した崖・土塁
 
伝御殿曲輪と本曲輪の境目部分の土塁(崖)… 伝御殿曲輪…手前の道路の前の広場  二、三の曲輪、御殿曲輪そして鉢形城歴史館方向を示す道標
道標の場所 右の広い道が二の曲輪と本曲輪の間の旧堀切と思われる 道路で分断されているが、これが連続した堀切・土塁だった 橋道標の側の、二の曲輪方向への入口、稲荷神社の馬出し方向 二の曲輪 標識と後方には土塁が見える
          
 稲荷神社入り口、鳥居が見える… 稲荷神社の横の通路(土橋)…意図的に通路を曲げている  
     
土塁から見る木橋とその奥に空堀が見える 手前が主たる堀で奥が従たる堀
 左上の写真の木橋を越えて右に折れたところ…右下の写真は、下の写真の右側の台地上に上がる階段  障子桟の部分を見る…破損を防ぐためか実際よりかなり低くしてある 
     
 
木橋を渡り秩父曲輪へ ここが二の曲輪と三の曲輪、荒川に面した小さな曲輪状だが「角馬出し」と判明した由  木橋横の土塁上より従たる堀を右手に、遠くに二の曲輪を臨む  三の曲輪にある石組井戸
     
三の曲輪側から堀を挟み二の曲輪を臨む  三の曲輪にある「復元四脚門」遠景 三の曲輪にある掘立柱建物跡
     
四却門の近くにある(復元)石積み土塁。…階段状に河原石が積み上げられている。
西国の石垣とは技術的に異なる積み方でもあり「石垣」ではなく、土塁、石積み土塁と呼ばれている。
        
      
階段状になっているのがわかりますね!
 
 復元四阿(あずまや) 伝秩父曲輪と伝わる場所で、掘立式建物跡や井戸、池の遺構が発見された  石積み土塁上から伝秩父曲輪・三の曲輪を見下ろす 四脚門が右側に見える  石積み土塁上から柵越しに崖下を見下ろす
     
 石積み土塁の左端(南西)より、虎口跡(右手が諏訪神社、左が土塁跡と復元四却門)を見下ろす  石積み土塁上から諏訪神社側の空堀を見下ろす 石積み土塁を下りて虎口へ。ここに門があった可能性が極めて高い発掘調査では確認されていない。
     
虎口内部にあたる。中央に見える植え込みは本来土塁であったのをその位置を示すために植え込みとしたらしい  四脚門を外側から見る 復元四脚却門を入ってすぐ右に「石組排水溝」の復元があ・表示がある
     
 諏訪神社の周りも土塁が残る…旧馬出 土塁の一部に石垣が露出している…この辺の調査が進めばもっとでるかも?  土塁、右側が空堀になっている
     
 同様に諏訪神社の周りに土塁が残る。諏訪神社は、武州日尾城主(小鹿野町)諏訪部遠江守が鉢形城の家老として出仕した時、信州にある諏訪神社を守護神として分祀奉斎した。やがて天正18年(1590年)鉢形城の落城により、この近辺から北条家の家臣たちが落ちていき、人々も少なくなりました。しかし城下の立原の人たちは鎮守様と崇敬し、館の跡を社地として今日の神社を造営したものです。(寄居町が現地に設置の案内看板より) 
     
諏訪神社からJR八高線踏切を超えて泉水坂を通り「弁天社跡」を見る!水は全く見えないが本来は「池」の筈  「弁天社跡」を過ぎて、深沢川を渡り「鉢形城歴史館」を右に見て、外曲輪を歩く。…下の写真の右側が堀(一部水が残る)で左のちょっと高い部分が土塁 土塁上を歩き続けて… 
     
土塁の下を見ると彼岸花が満開か!  同じく土塁を土塁上から撮影…  土塁の標識が…
     
 旧外曲輪、少し前までは畑だったらしいが、今は草原?! 再度深沢川を渡り、伝御殿下曲輪方面に行く  土塁…この近くに、推定樹齢150年の「エドヒガン桜」がある
     
アクセス:東武鉄道東上線・JR八高線寄居駅より徒歩約10分。東武東上線鉢形駅より徒歩約20分。
※You Tubeに「鉢形城ー埼玉県 日本100名城」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください!

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