大堀山館跡(おおほりやまやかたあと)埼玉県川越市下広谷 2013.12.12 訪問お知らせ |
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~ 築城主:不明(扇谷上杉氏?)築城年:室町時代 主な城主:扇谷上杉氏 廃城年:不明 主な遺構:郭、土塁、空堀 その他:県指定・史跡 ~ |
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大堀山館跡は、今から約500年くらい前の戦国時代に築かれた城跡です。一辺約200m、三重の堀と土塁で囲まれた方形を呈し、この種類の城跡としては埼玉県内で最大級の規模と良好な保存状態を誇ります。関東の派遣をめぐり争われた戦国時代。交通の要衝を押えることは軍事的・経済的に見て重要な戦略のひとつでした。大堀山館跡の周辺を見ると、すぐ東には、中世の南関東と北関東を結ぶ主要ルートの鎌倉街道がが通っていました。またすぐ西を通る県道は、扇谷上杉氏の川越城と鉢形城(寄居町)、山内上杉氏の五十子陣(いかっこじん、本庄市)をつなぐ当時のルートと重なります。つまり大堀山館跡は、戦国時代の関東における主要なふたつのルートの交わる重要な拠点を押えるという役割を担って築かれた城であったと推定されます。(川越市教育委員会が現地に設置の案内板より) | |||
東武東上線「若葉駅」から 徒歩で約30分位(バス もあるが便数が少ない) |
駅から北東方向へ歩く、富士見工業団地を目指してまっすぐの道を歩いて、写真お若葉霊園の看板のところで右折。圏央道を過ぎるとそこが下広谷 | 圏央道のガードを抜けて、まずは本応寺の看板を目標に進んで、本応寺の手前の道路を左折。 | |
一番下の道路を北方へ歩く、一部空堀らしいところもあったが、 余り整備されていなく、あちこちにごみの不法投棄が見られた。 |
圏央道のすぐ横の道を入ると両側に雑木林が見える道路が | ||
…障子掘り跡の表示の地点から陣屋跡を訪ねた | |||
約200~300m進むと、館跡の説明と左の縄張り図があった |
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上の地図の現在地の地点から数メートル入ったところの空堀らしきところ。 上の地図では、三の丸の三重掘りの一番手前の土塁・堀があるはずだが… |
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ここもわずかに土塁・堀の遺構が残る | |||
最初の地図の左側の堀・土塁部分に入ると竹林が | |||
本郭方向へ少し入ると、それなりに立派な土塁・堀が… | この様な竹林の間を かき分けて進んだ… |
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拡大写真で見るとまあまあ雰囲気は出てますかね?! | この辺は竹林と雑木が… | ||
竹林も風情がありますね! | |||
ぐるりと反対側(最初の 地点から)に来た |
民家の横を通り入ると、右の写真 (平面図)のある案内板があった |
この地図では、一番下が 現在地になっている |
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案内板のすぐ近くに三重の一番外側の土塁・堀があった | |||
拡大写真です… | |||
これは上の写真の堀の端の方の写真 | 写真の奥の方に堀らしいのが見える(拡大するとわかります) | ||
奥に土塁が見える… | |||
本郭の手前で左側の堀を見る | 本郭がここから続く… | ||
伊本郭から埼玉県と伊奈町の教育委員会が設置) | 本郭から東側(先ほどの看板から見て左側)の空堀を見る | ||
右の写真のさらに東側の堀・土塁…三重の堀の一番外側、 遠くに住宅が見える |
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上の写真とほぼ同じ場所 こちらは堀の存在が見える? | こちらは、先ほどの場所から南方向へ雑木林の中を進む…左側に土塁が続く | ||
最初に入ってきた場所で、改めて、内側から遺構尾の片りんを探す …少しは堀跡、土塁がありますね! |
最初見た本応寺の墓地の裏側のところ、ここは郭ではなく、建築資材置き場みたいでした | ||
最後に、この辺の空堀跡を… | |||
交通アクセス:東武東上線「若葉」駅から徒歩約30分、あるいは東武バス(本数が少ないのでご注意を) |
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