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年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

川越城 埼玉県川越市 1st 2012.10.30  2nd 2015.03.18 訪問

 〜 築城者 太田道真、道灌父子 築城年 1457年(長禄元年) 主な城主 扇谷上杉持朝(初代城主)から上杉氏6代、北条氏4代、江戸時代には酒井家、堀田家、大河内松平家、柳沢家、秋元家、越前松平家、松井松平家と推移  廃城年 1869年(明治2年) 遺構 堀・土塁・御殿の一部 指定文化財 埼玉県有形文化財(本丸御殿)、埼玉県史跡  日本100名城 関東七名城 〜
  川越城は、長禄元年(1457)に太田道真、道灌父子によって築城され、上杉氏6代、北条氏4代の持城であったが、当時は後の本丸、二の丸を合わせた程度のものであった。江戸時代になって、松平信綱が城地を拡大し、八郭・三櫓、十二問をもつ徳川家の審判、譜代の大名の居城として有名であった。しかし明治維新後、堀は埋められ、土塁は壊されて、現在ではこの富士見櫓の跡と、本丸御殿の一部が残るのみとなった。富士見櫓は築城当初に、本丸西南の隅櫓として建てられた三重の櫓で、城内第一の高所として天守閣の代わりを務めた。(富士見櫓跡に、川越市教育委員会が設置の案内板「県指定・史跡 川越城跡より)

 日本三大夜戦の一つの「川越夜戦」について、舞台となった東明寺に埼玉県が設置の案内板、「川越夜戦跡」より、下記…
天文6年(1537)の戦いで、北条氏綱に川越城を取られた扇谷上杉朝定は、再びこれを奪還すべく山内上杉憲政、古河晴氏と連合して総勢八万余騎をもって、同14年10月に川越城を包囲した。一方、福島綱成のひきいる城兵は、わずか三千でたてこもっていたが、翌15年春にはすでに兵糧も尽きて非常な苦戦におちいっていたところ、北条氏康が八千騎をひきいて援軍としてかけつけ、4月20日の夜陰に乗じて猛攻撃を開始した。これに呼応して城兵も城門を開いて打って出たので、東明寺口を中心に激しい市街戦となった。多勢を頼んで油断しきっていた上杉・古河の連合軍は、北条方の攻撃に耐えられず散々となって松山口に向かって敗走をはじめ、この乱戦の中で上杉朝定は討死し、憲政も上州に落ち延びたと伝えられている。敵に比べて問題にならないくらい少ない兵力連合軍を撃滅したこの夜戦は、戦略として有名である。※日本三大夜戦:川越城の戦い、厳島の戦い(毛利元就VS陶晴賢)、桶狭間の戦いを指すが、桶狭間は夜戦ではないので、日本三大奇襲と呼ぶべきだろう。
川越夜戦跡の「東明寺」…突き当りが東明寺山門  東明寺の山門…この左に冒頭引用した埼玉県が設置の河越夜戦の説明板が 市指定史跡「川越夜戦跡」の碑
 東明寺から札ノ辻に戻る…現在地のところにあった案内図 市役所前にあった「川越城大手門」の石碑…市役所が耐震工事中でプラスティックの壁越しに見る
同じ場所にあった「太田道灌像」…
市役所玄関横にあった「川越城図」…江戸期の縄張り図  
  
 大手門(現市役所)と二の丸(現博物館)方面の間に造られた、門と堀  中の門堀は城壁側(下の写真の左側)とその反対側の法面勾配が異なる。城壁側の角度は約60度で、簡単に上がれないところに、狭間(右の写真)から弓や鉄砲で撃つとの戦法…ここの狭間は堀側に大きく角度がつけられており変ですね!本来城壁内部が角度広いはず(写真ではわかりにくいかな?)
     
 すぐ上の写真の右手にあった説明板…この前の道路を挟んで向い側の2F建ての家の、白いブロック塀の左奥に堀が続いていた。右の写真の道路に突き出ている堀の部分につながっていた
     
中の門堀の急こう配法面を図示説明
 
 中の門掘を過ぎて二の丸(現市立博物館)方向に向かう…  川越城本丸門跡の石碑…ここの右側が本丸御殿
     
 本丸御殿玄関左側から…  本丸御殿玄関をやや右側から… 
     
 玄関反対側にあった石碑(武徳殿)後ろ側に駐車場…
 
 玄関左にあった「県指定 川越城本丸御殿」の石碑…  本丸御殿の内庭…向こうに見えるのは県立川越高校 本丸御殿内部…三十六畳の広間 
     
 本丸御殿から駐車場に入ると三芳野神社、この看板の後ろに見えるのは立派な土塁…とうりゃんせの歌の発祥の地   左の写真の土塁を裏側から見た…
     
 平安時代初めの創建と伝えられている。太田道灌は川越城築城に当たり鎮守とした。
 
神社の看板の裏手から続く土塁…右の写真の手前側部分。 右側の神社本殿の裏から手前の土塁部分まで土塁が続いていて、その間に虎口があったと思われる。 
     
 土塁辛下を見下ろす…高さは2〜3メートルはある
 
土塁上から、富士見櫓を臨む。住宅の向こうに大木が見えるところ…  土塁から降りて改めて眺める…  三芳野神社を参道から…
     
 富士見櫓全景…  川越城富士見櫓跡の碑…
     
 川越城 田郭跡の石碑
 
 富士見櫓跡の左の道…旧空堀と思われる  櫓跡…それほど広くはない 川越城富士見櫓を後にして喜多院へ向かう…喜多院に土塁が残る 
     
 喜多院本堂の左側、東照宮の横に空堀が残る。現況は結構幅が広く通路のようになっている。左の写真の都築が右の写真で、ここで左右に続いている。なかなかの空堀です。…川越城の出城というか詰めの城的な位置づけだったか?
     
 右上の写真の右側にある橋…一般道路に出て振り返る!
 
 橋を渡って左に曲がって、左の空堀を見下ろす…  
    
アクセス
  • 東武東上線・JR川越線「川越駅東口」および西武新宿線「本川越駅」から東武バス「上尾駅西口行き」、「埼玉医大行き」又は「川越運動公園行き」で約10分「市役所前」下車、徒歩約5分
  • 東武東上線・JR川越線「川越駅西口」及び西武新宿線「本川越駅」からイーグルバス「小江戸巡回バス」で約15分「本丸御殿」下車
           
  
※「川越城ー日本百名城・関東七名城〜日本三大夜戦・川越夜戦が有名」をYouTubeにアップしました。こちらからご覧ください。 

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