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山名城 群馬県高崎市山名町 2017.4.2 訪問お知らせ
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~ 築城主:不明(山名三郎?或は南朝方の衣良親王とも?)築城年:不明(12世紀~14世紀?) 主な城主:山名氏、衣良親王、木部氏 廃城年:天正18年(1590年)? 主な遺構:土塁、郭、堀切、竪堀 高崎市指定史跡 ~ |
- 源義家の孫新田義重(1,126~1,202)の子義範は、この城に拠って山名氏と称し、以後8代山名城を護ったという。東西450m、幅の最も広いところは二の丸の部分で南北130m。この城は築城法からみて、弓矢だけの時代でなく鉄砲が使用された時代の普請である事がわかるそうである。南北朝時代信濃南朝方の関東での橋頭堡として、寺尾上城(乗附)、中城(寺尾)と一連の名称で寺尾下城とか前城と呼ばれている。それにもかかわらず、前二城よりはるかに進歩した築城法によって作られているのは、この城が戦国時代になって、木部城の要害城として改築されたためである。(山名城址への入口にあった説明板「山名城址」より)
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上信電鉄「高崎商科大学前」がアクセスとしては便利なようだ。次の駅の「山名」からでもほぼ同じ時間で行ける…駅から徒歩で約20-30分の距離。高崎商科大学前駅は無人で(電車もワンマンで運転士近くのドアから出入りする)。因みに駅に設置の案内板では、山名城址・根小屋城址ともに20分とあるが! |
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駅の南側から、高崎自然歩道に入る…「イノシシ マムシ 出没注意」の注意書きが。そこから右方向を見ると「高崎商科大学」が見える |
こんな感じの自然歩道が続く… |
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次に竹林の中の遊歩道… |
訪問時は、春の陽気で、快適な気候だった…尾根上を暫く歩き、下の地図の「分岐点」を経て、山根城址及び「山ノ上碑・古墳」方向へ歩いた |
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尾根上に出て、ひたすら南方向へ歩く… |
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高崎自然歩道案内図…高崎商科大学前駅から南下して、分岐点から東方向へ行く。途中で「山ノ上碑と古墳」の案内道標を見て、先ずそちらへ行った。案内図に緑字でルートを表示した。 |
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山ノ上碑・古墳方向へ行く途中に、左に上がる階段があった…ここを左に上がる |
上の案内図の分岐のところから右(東)方向への尾根上道… |
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分岐点から少し歩くとこんな案内板がありました…鹿島神社と防人 |
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尾根道上からの眺望… |
山名城址の案内板より縄張り図を拝借…左側の堀切部分より、本丸→二の丸へ。本丸・二の丸回りも藪状態で、降りられず断念 |
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右の縄張り図の左端の通路… |
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本丸入り口(虎口?)… |
本丸に上がる階段… |
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城址碑…設置者は高崎市(教育委員会)などではないようだ |
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本丸北側の空堀部分を見下ろすが藪状態…とても降りられない |
岩盤を削って作ったと思われる主郭西側の空堀… |
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本丸南東側の腰郭的なところ… |
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本丸から階段を降りて、北側の堀を見る…左右に繋がる本丸周囲の堀の北側部分郭(鳥瞰図の1郭)に到着…ここはきれいに整備されている。周囲のここまでの通路は案内標示もなく一部藪状態のところもあった。 |
本丸端のところで、この先が空堀を隔てて二の丸になると思われる…藪状態でよくわからないが |
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上の写真の展望台の手前にあった案内板…錆びて、汚れてよく読めない |
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堀の交わる部分に降りて右側を見る…空堀そのものは可成り変化している |
本丸すぐ下の空堀の堀底道にしゃがんで撮影… |
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こちらは反対側(左側)… |
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本丸を後にして、元来た方向へ戻る途中の小郭・腰郭的なところを見下ろす… |
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ここは小郭?いや、何でもない削平地か? |
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再び、高崎自然歩道に戻り、次の訪問先の根小屋城を目指す… |
高崎自然歩道と山名城址及び山ノ上碑・古墳方向との分岐部。根小屋城址方向へ行く… |
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再び、尾根道を西方向へ歩く… |
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山名城入り口付近にあった「水戸黄門と山賊」の説明板…真偽のほどは? |
特別史跡「山上古墳」…飛鳥時代に築かれた円墳の説明板。直径15m、高さ5mの山寄式の墳丘 |
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「山上碑及び古墳」の解説板… |
山ノ上碑…681年に建立され完存するものに限れば日本最古の石碑とか。碑に刻印されている文字は右の写真で解説されている。 |
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アクセス:上信電鉄「高崎商科大学前」下車、山根城址入口まで徒歩約30分
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※ You Tubeに「山根城 群馬県高崎市山名町」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください!
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