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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  楯の城 東京都青梅市日向和田 2014.9.23 訪問  2017.10.18 再訪
 〜 築城者 三田氏 築城年 室町時代(永禄5年、1562頃?) 主な城主 三田氏、田辺氏(北条氏)廃城年 1590?(北条氏滅亡時?) 遺構 土塁、堀 〜
楯の城は、室町時代に青梅の領主であった三田氏が永禄5年(1562年)頃に築城したと言われている。三田氏は後北条氏の攻勢に対して、三田氏は居城を勝沼城から辛垣城へ移し、その辛垣城の支城的な役割を企図して築かれたとされる。永禄6年(1563年)の段階で、楯の城も、辛垣城も後北条氏に攻撃され落城し三田氏は滅びたとされている。その後、後北条氏は対武田の城として存続させたが、天正18年(1590年)北条氏が滅亡し、楯の城も廃城となった。JR青梅線宮ノ平駅の東の山裾に築かれていた城であるが、線路と国道が城址を分断して遺構はかなり破壊されている。宮ノ平駅の東側の踏切のところを、階段を上がり山に登ると、すぐ、赤錆びた鉄板の右側(本来は何か説明があった?)に、土塁、堀切、空堀が良好に残されている。
 JR青梅線 宮ノ平駅は、明治28年に和田乃神社あたりに造られて、石灰岩の運び出しが目的であった。当時は「日向和田(ひなたわだ)駅」で、そこから北側の石灰山まで引き込み線が引かれていた。現在の場所に「宮ノ平駅」が作られたのは、青梅線をさらに西に伸ばすためにトンネルをが完成した大正時代であった。石灰岩が掘り尽されてから、この石灰山は「仮面ライダー」などの爆破シーンがある撮影のロケ地として使われたとのこと。一番左の写真は、宮ノ平駅の一つ前(立川駅寄り)の青梅駅。
 駅北側に出て、線路に沿って青梅駅方向へ5分ほど歩くと踏切があり、そのすぐ左の通路を通り登城口へ…  宮ノ平駅南口にあった、「駅周辺観光案内図」 … ここにある、「明白院」に移築された、楯の城の城門が移築されている。明白院に行く手前右側に「和田乃神社」がある。また、地図のやや左上の方に「矢倉台」が、「楯の城」と「辛垣城」の物見台があったといわれている。
 この、最初の階段を上がり城跡へ行く…
 左上の写真の階段を上がり、最初は舗装された道を、その後林道的な道を進むと赤錆びた看板があった。何も見えないがここが、城跡への入り口になる。ここで右に入る…
 最初に遭遇の大規模空堀(箱掘りのようで、幅は7-8mはあろうか)と住宅地に面した土塁を見る…横矢掛かりが見える    土橋の上から東方向を見る…
 今度は、南方の住宅方向を見る… 
 右の写真の土橋を渡り、その先の郭と手前の土塁を見る…   この空堀を跨ぐ土橋…前方に郭が。この土橋は木橋だったという説もある
  
  上の写真に続く郭…
 
  土塁上に上がり入ってきた空堀を見下ろす…横矢が分かる     土塁上を入ってきた方向に戻り空堀を見下ろす… 
     
 土塁の突端部分でちょっとした削平地で物見櫓でもあったのか?
 
 最初に入ってきた山道に戻り、駅に戻らずに櫓台方向を目指したが、時間切れで、やむなく青梅駅へのハイキングコースに入り、ひたすら尾根道を歩く。ハイキングコースとしてはよく整備されており、要所要所に道標や休憩所・展望台があった…
第一休憩所からの眺望…塩船観音が眼下に見える(中央よりやや右側に白い観音様が見えますね)。
   
アクセスJR青梅線「宮ノ平」駅から徒歩、5-10分
 ※「楯の城〜青梅の領主三田氏の居城だった〜」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。

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