松代城 長野県長野市松代町松代 2013.8.27 訪問お知らせ |
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~ 築城者 武田信玄 築城年 1560年 主な城主 武田氏、森氏、真田氏 廃城年 1873年(明治6年) 遺構 石垣、土塁、堀 指定文化財 国の史跡 再建造物 太鼓門、堀、石垣、土塁など 日本100名城(26番)~ | |||
松代城は、甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との「川中島の合戦」の際に、武田方の前進基地として築かれた海津城がその始まりと言われており、永禄3(1560)年頃に普請が完了したものと伝えられています。慶長5(1600)年関ヶ原の戦いの後、城主となった森忠政の頃、二の丸・三の丸を整備し、土塁を石垣に築きなおしたものと考えられています。元和8(1622)年に真田信之が上田より移封されて以降、明治の廃城までの約250年間、松代藩真田家10万石の居城となりました。松代城は、北西側を流れる千曲川を自然の要害としてつくられた平城で、最奥部に本丸、南側の城下に向けて二の丸・三の丸・花の丸などの曲輪を構えていました。明治5(1872)年の廃城以降、建物は無くなったものの、昭和56(1981)年に本丸を中心とした旧城郭域の一部が新御殿と共に国史跡に指定されています。(現地に設置の説明板より抜粋・編集) | |||
松代城は、長野市松代町にあり、JR長野新幹線 長野駅からバス古戦場経由「松代高校」行で「松代駅」下車。約30分(訪問時は片道600円であった)。「松代駅」駅舎は残っていたが既に廃線・廃駅(こんな表現あるのか?)であった。線路もないけどなんとなく風情があった。この駅のホームから飛び降りて草原を超えて松代城の石場門~二の丸~東不明門(ひがしあかずもん)に向かう、徒歩数分で東不明門に。 松代駅~松代城~真田邸~文武学校などの位置関係を表した地図はこちらをクリック! |
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松代駅のプラットフォーム 線路がない! | 松代駅側の「石場門」…この手前右側が外堀跡。石場門を入り[二の丸」へ | 東不明門前橋 …本丸に通じる |
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これは復元図です。現在は、石場門跡から二の丸、東不明門、本丸、太鼓門、南門、そして北不明門が復元されている。…外堀、三日月掘り、三の掘は現存せず。別の視点からの縄張り図は下の写真をクリックしてください!! |
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橋の上から左側の湟、石垣を臨む | 東不明門前橋 | 東不明門前橋上から右側の堀を臨む | |
太鼓門は本丸内では一番大きな門であった。本丸大手(正面)の出入り口[虎口)は、枡形に石垣を回し二層の櫓門(太鼓門)と枡形門(橋詰門)の2つで構成されていた。 | 二の丸南門 | ||
二の丸南門前の改修工事 | |||
二の丸南門横の土塁… | 太鼓門・橋詰門遠景 | 太鼓門前橋を堀越しに遠くから見る | |
西側の土塁にある埋め門 | 埋め門を通り搦め手門側を臨む | ||
本丸御殿跡の周囲の石垣を北不明門側から見る | 井戸跡 | 北不明門(搦め手門)ー太鼓門と同様に櫓門と表門 (枡形門)の2棟による構成であった。 |
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枡形内の矢狭間 | 松代城址の石碑 | 本丸の石垣から見る本丸御殿跡 | |
北不明の枡形門ー内部から | 本丸御殿跡を石垣上から見下ろす | きれいに整備された土塁 | |
※ You Tubeに「日本100名城―松代城」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください! アクセス:長野駅からバスで30分で松代駅へ、そこから徒歩ですぐ |
別ページで文武学校・真田邸を掲載! 下のパンフレットをクリックしてください! ジャンプします! |