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松代城 文武学校・真田邸 長野県長野氏松代町松代 2013.8.27 訪問お知らせ

 文武学校は、藩士の学問・武芸を奨励するため、8代藩主・真田幸貫は、松代藩士・佐久間象山らの意見を受けて、蘭学・西洋砲術などを積極的に取り入れた、藩校としての文武学校の建設を目指した。9代藩主・真田幸教はその志を受け継ぎ、嘉永6年(1853)には建物が完成し、安政2年(1855)に開校した。幕末期の儒学中心の藩校から近代的学校建築への過度期の建物。(入場時入手のパンフレットより抜粋・編集)
松代城址から南へ徒歩約5分で文武学校に… 
     
    剣術所 
 
 
 
     
 弓術所 射芸を指南する道場で、開港時の日割り表によると、射芸は8人の師範が教授にあたった。文久3年(1863)に藩から命令が出て、弓術の授業も柔術と共に行われなくなった。松代学校時代には、初め音楽教室に充てられていたが、その後理科教室、第1音楽室などに使用された。矢場は平成8年に絵図面を基に復元されたもの。  
     
柔術所   松代藩文武学校正面入口  
     
真田邸は江戸時代には新御殿とよばれ、松代城の南側に位置している。文久2年(1862)に参勤交代の制度が緩和され、藩主の妻子が国元へ帰ることを許された。9代藩主・真田幸教は義母・貞松院のため、元治元年(1864)に、新しく御殿を建て「新御殿」とするよう命じた。貞松院は同年10月に新御殿に移るが、翌年の1月、参勤交代制度が旧に復すると、また江戸にもどることになった。その後真田邸は藩主の座を退いた幸教の隠居所として使われた。(入場時入手のパンフレットより抜粋・編集)        
 真田邸入口 長野市は2003年3月に整備・保存事業に着手した。整備の対象は、御殿、表門、各土蔵、庭園、物見と史跡全体に及ぶ・・・
 表座敷 年中行事や訪問客との対面が行われていた
     
 中庭    
     
    手洗いの間 右側が主人用のトイレで左側の代を使って手を洗っていた
     
     
     
  御次の間   
     
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