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伊奈氏屋敷跡 埼玉県北足立郡伊奈町小室 2013.12.12 訪問お知らせ |
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~築城主:伊奈忠次 築城年:天正18年(1590)主な城主:伊奈氏 廃城年:1642(赤山陣屋を構築)後は、赤山忠正の次男忠隆系の旗本伊奈氏の屋敷となった。主な遺構:土塁、堀~ | |||
代官頭伊奈忠次が築いた屋敷跡です。伊奈氏は信州伊奈郡の出身で、忠次の祖父忠基の代に松平弘忠(徳川家康の父)に仕え、三河国小島(今の愛知県西尾市)の城主となりました。忠次は善政をしき、特に豊臣秀吉小田原攻めには、主君徳川家康の命で兵糧の輸送、荒廃した伊豆国の農村復旧などに当たり功績を挙げました。天正18(1590)年、徳川家康が関東へ入国した時、忠次はこれまでの功績によって、三河国小島の旧領と武蔵国小室・鴻巣領1万3千石(1万石とも言われている)を与えられました。代官頭となった忠次は、中世以来城郭として使われてきたこの地(小室丸ノ内)に陣屋を構えて、関八州の天領を治め、検地の実施、新田開発、中山道その他の宿駅の整備、備前堤・川島大囲い堤の築堤など大いに活躍しました。更に江戸幕府成立後は、関東及び東海道筋の支配にも参画するようになりました。(埼玉県教育委員会・伊奈町教育委員会が現地に設置の案内板より) | |||
大宮駅からニューシャトルで丸山へ。駅前に観光案内地図あった。 | |||
上の地図の右端上部分を拡大…障子掘り跡の表示の地点から陣屋跡を訪ねた | 伊奈氏屋敷跡の標示が | ||
こちらは裏門跡の石柱表示 | |||
屋敷跡から丸山駅方向を見る (左手は新幹線) |
伊奈氏屋敷跡、裏門跡などの標示柱 | ||
埼玉県指定史跡であり県有地、 ごみ投棄等禁止との看板 |
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屋敷跡のところにあった案内板の「航空写真」… | 屋敷跡の隣接地の樹木郡 …土塁らしきものが |
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同じく山林内を見る …ちょっとした広場が |
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空堀っぽいのが見えたので入ってみる | 先ほどの案内板の写真で「障子掘り」の説明(埋め戻したとのこと) | ||
土塁が残っている | |||
上の写真の続き、空堀らしい?…整備されていないし、定かではないが | 左の写真の右側の 土塁らしきところ |
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左側に土塁跡、当時 の通路を思わせる道が |
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わざと折り曲げた道が続く | 「左が裏門、右に行くと表門」 の説明板…表門に向かう… |
二の丸と全体の案内図 (地図は下の写真参照) |
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伊奈陣屋跡の二の丸にあたるとの説明(埼玉県と伊奈町の教育委員会が設置) | 簡単な配置図…左の上に「表門」「二の丸」との標示が | ||
案内看板のところの横の空堀 (二の丸周囲の土塁と空堀) |
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その空堀に降りてみた…整備はともかく、なかなかの空堀! | 二の丸の端の部分 の土塁が続く |
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同上 | |||
先ほどの案内板の道路を 挟んで反対側の土塁の一部 |
同じく周囲の土塁 | ||
表門と表示のあるところにあった案内板の「航空写真」…右下に「二の丸」、 「表門」が見えるが、表門の場所がよくわからず、標示も見つからなかった。 |
二の丸の周囲の土塁の一部 | ||
左の地図の近くの水掘りの名残(この写真では見にくいが水掘りとなっていた) | |||
交通アクセス:大宮駅からニューシャトルで16分「丸山」駅下車、すぐ。…駅から、ニューシャトルの車庫を右に見て、新幹線のガードを過ぎたところで右に曲がり、上野方面に少し歩くと最初の「伊奈氏屋敷跡」の表示のところに。 |
※ You Tubeに「伊奈氏屋敷跡ー埼玉県北足立郡伊奈町」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください! |