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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

滝山城 東京都八王子市高月町 2012.12.6 訪問 2017年4月22日(再訪)知らせ


 〜 築城主:大石定重 築城年:大永元年(1521)… 主な城主:大石氏、北条氏(氏照) 廃城年:1580年代(北条氏照は八王子城を築き滝山城から移転したと推測される) 主な遺構:土塁、郭、空堀、堀切、竪堀 続日本100名城
国指定の史跡、滝山城は戦国時代の中頃、大永元年(1521年)に武蔵国守護代の大石定重が、この城の北西約1.5kmの高月城から移り築城したものと伝えられます。定重の子定久の時北条氏康の支配を受け、その子氏照を養子に迎えて、滝山城は大石氏から北条氏照の居城となりました。氏照はさらに城を拡充し、その規模雄大さは当時関東屈指の山城と称されました。本丸、中の丸、二の丸、空堀などの巧みな遺構にそれがうかがえます。上杉謙信、武田信玄などから猛攻を受けた滝山城ですが、なかでも信玄、勝頼父子による永禄12年(1569年)10月の城攻めは、痛烈を極めたといわれます。後に北条氏照は領地の備えをより固めるため、南西約9kmの地に八王子城を築き滝山城から移りました。移転の時期は定かではなく、天正の中頃(1580年代)と推測されます。 白亜の天守閣も、高い石垣もない、典型的な中世城郭の縄張りをもつ滝山城ですが、木立の深い城址にたたずむとき、かつて名城といわれた滝山城の面影がしのばれます。(現地に設置の案内パンフ、「城址のある丘 都立 滝山公園」の「滝山城址」より抜粋。)
 八王子駅から西東京バス戸吹方面行バスで約18分)、「滝山城址下」下車「滝山城跡入口」の看板が見える… 左の写真の城跡入口の横にあった、案内板より「案内図」を抜粋。朱色で滝山城址下バス停からのルートを付記しました… 
     
城域に入ると、暫く竹林の中の登山道を歩く… 
 
 竹林に続いて木々の間の通路(大手口だろう)…堀底道かも?  途中からは、通路に沿った空堀が左側に…振返ると左に曲がって入る空堀が見え、そこに入る(右の写真)
     
 左にそれた空堀の底道を通り北上する…  途中に小さな社があった… 
     
 孟宗竹の林が見えてきたがぼちぼち歩きにくくなる…
 
 藪状態がひどくなってきたので諦めて主ルートの方向を目指す… 右側の拡大図の茶色の空堀底を歩いて、現在地とある場所に出てきた(左下の写真の部分)…ここは桝形虎口になっているようだ  
     
 小宮曲輪横の通路との交差部分に出てきた…右の写真の案内板が見える
 
 右上の図面の「櫓台」部分より先ほどの分岐地点を見下ろす…  小宮曲輪を一旦右側に行く…左の写真の櫓台へ上がるため
     
 櫓台方向へ歩く…
 
 小宮曲輪から山の神曲輪方向(北)へ歩く…ご覧のように大変歩きやすい 
     
 
 山の神曲輪の北端に来た…眼前に見える川は多摩川  山の神曲輪全体を振り返り見る… 
     
 山の神曲輪の位置と拡大図…帯状腰曲輪群とその先の竪堀は雑草の中でよくわからなかった
 
 小宮曲輪の最初の空堀との分岐部分に戻ってきた…南方向の三の丸方向へ 左上の写真のところから南下してゆくと、土塁が残る場所があった… 
     
 上の写真の続き、小宮曲輪の南端部分か…
 
 山の神曲輪(及び小宮曲輪)から二の丸・千畳敷・三の丸方向への通路との分岐部分…左側の平坦地は弁天池跡か?  小宮曲輪の説明・図面… 
     
左の写真の右側の通路を歩き、右・三の丸方向への標識・分岐…
 
 千畳敷への道標…  「千畳敷」全景…結構広い。 
     
 先ずは二の丸馬出方向へ…
 
二の丸馬出か?  二の丸との間の空堀を左に見て…
二の丸との間の空堀を見下ろす…
 細い通路を通り…右の写真の土橋(?)に続く  
     
 右の写真の土橋から堀を見下ろす…
 
 二の丸の南に当たる場所の空堀…屏風折と言われる「折」が見られる(写真ではわかりにくい?)。  二の丸の説明板…集中的防御
 
 左の空堀を北側から振り返り見る…
 右の写真は、下の拡大図の「行き止まりの曲輪」部分。右の写真の案内板の左上の写真の屏風折れのある空堀に当たる…  
     
上の地図の土橋への通路…その先右に馬出が 
 
 二の丸から中の丸方向へ歩く…一番右の写真は馬出部分か?
     
 中の丸全景…上の方向が北側、多摩川方向  中の丸方向へ行く…
     
 中の丸の説明板…腰曲輪が多摩川方向に配置されていることから北側への防備目的か?
 
 中の丸から本丸への引橋…  本丸への虎口の説明…枡形虎口となっており、発掘調査では扁平な川原石が敷き詰められていたことがわかった。右の写真は桝形虎口の入り口部分。手前が中の丸方向
     
桝形虎口の、本丸への通路部分… 滝集落から本丸への侵入路(搦手口からの進入路)の説明板…
  
 金毘羅宮…あと霞神社が本丸跡にあった
 
本丸全景… 本丸の一隅(東側?)に建つ「滝山城址碑」(右側)…
     
 本丸の西側に井戸跡…
 
 本丸南側の枡形虎口…本丸側から見る  本丸南側枡形虎口の説明板…
     
 この標識に従い、滝山城跡方向へ…
 
 本丸と中の丸の間の木橋の下に来た…左の写真で説明が 
     
本丸を後にして、下の地図の「かたらいの路」滝山コース方向へ行く… 
 
 信濃屋敷〜刑部屋敷方向へ…右の写真の後ろは刑部屋敷か? 
   
刑部屋敷(?)の周囲に土塁の一部が残る…
刑部屋敷の先の木橋(引き橋)…説明は右の写真 「滝山城址下」バス停方向へ歩く…
大手口から小宮曲輪・三の丸方向への手前の「天野坂から桝形虎口へ」の説明板 最初に通って外側の空堀に入った分岐の場所に戻ってきた…右の写真は滝山城下のバス停、結構便数はある方だ。
   
 アクセス:八王子駅(JR/京王)から西東京バスで約18分)で「滝山城址下」下車
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