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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

岡崎城 愛知県岡崎市康生町 2012.9.17 訪問 2016.4.10 再訪お知らせ

 〜 築城者 西郷頼嗣 築城年 享徳元年(1452年) 主な城主 西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏 廃城年 明治6年(1873年) 遺構 石垣、堀 日本100名城 再建造物 天守、東隅櫓、大手門 〜
 
岡崎城の起源は15世紀前半までさかのぼる、明大寺の地に西郷頼嗣(稠頼)によって築城されたのがそのはじまりである。その後、享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになった。天文11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生した。家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしたが永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立した。ときに19歳。以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めた。
元亀元年(1570)、家康は本拠を遠江浜松に移し、嫡男信康を岡崎城主とした。天正7年(1579)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、次いで本多重次を城代とした。天正18年(1590)に家康が秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣田中吉政が城主となるが、家康が江戸に幕府を開いてからは、譜代大名にここを守らせた。
江戸時代、岡崎城は「神君出世の城」として神聖視され、本多氏(康重系統)、水野氏、松平(松井)氏、本多氏(忠勝系統)と、家格の高い譜代大名が城主となった。石高こそ5万石前後と少なかったが、大名は岡崎城主になることを誇りにしたと伝えられる。明治維新を迎えると情勢は変わり、新しい時代には不要とされた城郭の大部分は明治6〜7年(1873〜74)にかけて取り壊されてしまった。このあとは、堀と石垣が昔日の面影をわずかに伝えるばかりであったが、岡崎の象徴である天守閣がないままではしのびないとする市民の思いは強く、昭和34年(1959)に、ほぼ昔どおりの外観の天守閣が復興された。いにしえ、東海道を往来する旅人が仰ぎ見たであろうその姿を、今、我々も眺めることができる。(天守閣入場時に入手のパンフより抜粋)
愛知環状鉄道 中岡崎駅(右の地図参照)から岡崎公園まで徒歩約10分。名鉄名古屋本線(東岡崎・岡崎公園前)からも近い…
        
  竹千代通りを通り岡崎公園の竹千代橋に来た…
 
   竹千代橋辺りから天守閣を臨む…  竹千代橋上から伊賀川河畔にて多くの花見客が…  伊賀川に沿って「産湯の井戸」方向へ行く…
     
龍城堀を右に見て‥‥桜まつりで多くの屋台が店を出している   東照公えな塚…
     
 徳川家康のえな(胎盤)を埋めた塚とのこと…
 
 野面積みの石垣… 内堀に架かる土橋を右に見る、奥が本丸広場… 
     
 後ろに見えるのが天守閣…
 
 右に見えるのが坂谷門址、遠くに伊賀川が見える… 本丸側の石垣…当時のものだろう 右が本丸側…堀に架かる土橋・水路が見える(下の写真参照)
     
 「坂谷門址」の標示柱…  野面積みの石垣の上部に通水口のような石組が…これは当時のものではない、コンクリートで固めている 
     
 「坂谷邸址」の標示…この前に架かる橋は「坂谷橋」
 
「坂谷邸址」…右に伊賀川  東照公産湯の井戸…この水を汲み産湯にしたとか(下の説明参照) 
    
   「産湯の井戸」の説明板…
 
 左、能楽堂、家康館。右方向は本丸への通路、下の写真…  本丸周囲の内堀、この辺は空堀状態…堀の幅はやや狭い 
     
本丸への通路(堀に架かる石橋)…
 
 二の丸能楽堂入口…  能舞台…  徳川家康しかみ像…説明はここ
     
 本多平八郎忠勝像…  桜まつり・家康行列などあり、多くの武将体がパーフォーマンスをやっていた…  家康行列出陣式・出発等の行事があった…後ほどパーフォーマンス
     
 「家康館」…この右側には復元(?)筑地塀が(右の写真) 家康館から国道1号線側に出る…遠くに「大手門」が見える 
     
 岡崎城大手門…1993年に再建された。当時の大手門の位置とは違うらしいが、高さ11?、幅16.4mと立派な門である。石垣は地元産のみかげ石を使用している。  
     
 大手門を内側から見る…
 
 徳川家康公銅像…家康公没後350年を記念して制作されたとか  家康公銅像の近くの空堀の底を見る…
     
 東隅櫓…岡崎城の東郭にあった隅櫓で、2010年3月に木造再建された 東隅櫓の前の広場で各地から出演の演武?(ダンス?)パーフォーマンスが行われていた… 
     
 龍城堀…
 
 龍城堀…遠くに神橋が見える   これもパーフォーマンス…
     
 龍城堀横の堀・石垣…
 
 遠くに、パーフォーマンスが行われている広場が見える。天守閣横への通路から見る  見えている建物は「巽閣」、左側に龍城掘…石垣が雰囲気がありますね! 
     
 パーフォーマンス広場から天守閣裏に通じる通路に面しているところ…
 
 岡崎公園散策マップ…   ここにもパーフォーマンス武将隊が?
     
 天守遠望…
 
龍城神社…岡崎城の跡地に鎮座し、東照宮の一つであるとのこと 天守閣周囲の堀・石垣の一部…
神橋と周囲の桜を見下ろす…
 ここの桜も満開か…上の写真の右端部分を見下ろす   東照公遺訓碑の由来…
     
 東照公遺訓碑…
 
 出世開運 龍の井…家康公城内にご誕生の刻金の龍が昇天したと伝えられる  岡崎城天守閣(複複合式望楼型三重天守)…現在の復興天守は1959年に再建されたもの。徳川家康時代には天守はなく、家康の完投移封後城主となった田中吉政によって最初の天守が築かれたとか 
     
 天守入口…
 
 天守横の筑地塀とその下の内堀を見る…  幼天守望楼から南側を見る…名鉄名古屋本線が右の方に見える
     
 西側を見る…坂谷橋・坂谷邸を眼下に見る
 
 望楼から北側を見る…家康館の前でパーフォーマンスをする集団が見える  東側、龍城神社方向を見る…
     
 天守心柱礎石…一つだけ残る天守心柱の礎石  天守閣前広場の端から堀底を見下ろす…奥の方が伊賀川 
     
 この入口の石垣も当時のものだとか…
 
 三河武士の館 家康館の前の広場でパーフォーマンスが進行中(桜まつりの一環?)  幼少期 竹千代像…
     
 徳川家康公像…
 
 乙川側に来た…土塁の名残か?この上に上がり(真ん中の写真)乙川の河原に行く。多くの花見客が集っていた(右の写真)
     
アクセス:名鉄名古屋本線「東岡崎」駅から徒歩約15分
 
※ You Tubeに「岡崎城2016ー愛知県岡崎市」を投稿しています。You Tube のページへこちらからジャンプしてご覧ください。 

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