百草城 東京都日野市百草 2014.7.30 訪問 | ||
〜 築城者 不明 築城年 不明(中世山城…?)遺構 空堀、土塁、郭 〜 | ||
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京王線百草園駅南口に設置のガイドマップより。現在地のところから、赤い色で表示の「七尾丘陵散策道」に沿って歩き、京王百草園・百草八幡神社を目指す | 京王電車路線図 …百草園駅は各停のみ停車 |
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百草園駅の改札口…左(南口)へ | ||
川崎街道側「百草園駅」入口 | ||
川崎街道を西に数分歩くとこの案内板が出てくる。ここを左折… | 暫し、ゆるやかな坂を上る… | 再び案内標識が… |
坂を上りきったところが百草園入口 | 百草八幡神社への道標があり、先ずは、八幡神社を目指す。 …右側には百草園入口の標識。 |
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京王百草園…梅などの花見頃には多くの訪問者が。入園料300円。 | 百草八幡神社の創建は永承6年(1051年)陸奥守 源頼義が陸奥国に下降の途中、百草山に霊気のあることを知り、携えてきた山城の国男山八幡宮神域のの土を山上に埋め、社を建て宮を祀って戦勝を祈願したのにはじまると言う(日野市が八幡下公園に設置の案内板より) | |
百草八幡宮 泰安殿 ここに重要文化財に指定の「銅像阿弥陀如来座像」が安置されている。背部に建長2年(1250年)の銘があり、鎌倉期の作品と言われている。背銘には、鎌倉幕府の祈祷寺である「真慈悲寺文字も見える。この像は「真慈悲寺」にあったと伝えられている。(日野市郷土資料館発刊のパンフ「幻の真慈悲寺」より …右の写真は、日野市が現地に設置の案内板 | 松蓮寺の碑…この碑は文政13年(1830年)に松蓮寺八代住職魯庵によって建立されたもの。松蓮寺は廃仏毀釈(明治6年)により廃寺となった。 | |
松蓮寺の碑文より一部を拡大してみた。クリックしてご覧ください。 | 百草八幡神社横から神社の裏手、百草園の裏山方向へ行くと、 「松蓮寺詩碑」の道標が… |
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詩碑に向かう途中のちょっとした広場でこの標示が。…場所的にも百草城跡との関連があるのか期待したが、現地で「真慈悲寺」発掘調査中の調査員に聞いたところ、百草城との関連は確認されていない、とのこと。2007の調査では「礫」の露出の場所が見つかったとのこと。 | ||
百草園側に近づいてきた… | ||
八幡神社の裏山…土塁上の通路? | 松蓮寺詩碑への途中 右手に土塁? | 城跡の百草園側をフェンス越しに見る…後に入園料を払ってフェンスの向こう側へ行く |
「松蓮寺詩碑」に到着…詩碑より拡大の写真を右側に配置(クリックして拡大して見てください) | ||
詩碑のすぐ下のところ…空堀跡?どうも違うようだ。百草園側の方がそれらしき郭、物見台があるようだ。 | ||
百草園側を見るべく、百草園に入場、シーズンオフなのかほとんど訪問者はいなかった。 無人ゲートなので、料金箱に300円入れて入場した。 |
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日野市が実施中の、埋蔵文化財発掘調査。…市民調査員の方が、親切に説明、また城跡関連についても、案内いただき、種々の情報、説明を受得られた。感謝! | 百草園との見晴台より東京方面を見る(天候次第だがスカイツリーも見える) | 山に沿って上の方へ…右側は絶壁、左は崖、山城の雰囲気はある。 |
このようによく整備されている | 百草園として整備されているが、この見晴台は当時もそうであったか? | |
平坦な尾根道… | ||
ここも見晴台周辺の様子… | 見晴台付近からの眺望…松蓮庵が見える | |
左の見晴台から下へ降りる…右側が八幡神社側(フェンスで分断) | ||
フェンスの向こうに堀? | フェンス越しに八幡神社裏手を見る…松蓮寺詩碑への途中の通路 | ロープでさえぎられて、立ち入り禁止になっている部分を望遠で…城域の先端部か? |
アクセス:京王電鉄「百草園」駅徒歩15分。 | ※「百草城ー東京都日野市」をYouTubeにアップしました。 こちらからご覧ください |