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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 

福知山城  京都府福知山市 2012.11.29 訪問お知らせ

 〜 築城者 明智光秀 築城年 1579年(天正7年) 主な城主 明智氏、朽木氏 廃城年 明治6年(1873年) 遺構 曲輪、石垣、井戸、移築番所・門 指定文化財 福知山市史跡 再建造物 大・小天守・釣鐘門 〜
明智光秀は織田信長の命を受け丹波国平定戦を開始したが、敵対したのは赤井直正・波多野秀治連合軍で、塩見信房は連合軍に加担していた。当初は連合軍は明智光秀軍を撃退したが、赤井直正が1578年3月9日に病死、波多野秀治の居城八上城が1579年6月1日に落城した。また、赤井直正の居城であった黒井城も同年8月9日落城した。
明智光秀は丹波国を平定するとこれを福知山城と改名、近世城郭へと大修築し、城代には藤木権兵衛と明智秀満を置いた。本能寺の変後は、豊臣秀吉軍が福知山城に押し掛け、明智光秀の父を捕えて京都で処刑した。福知山城はその後、丹波亀山城を居城とする豊臣秀勝が城主となった。関ヶ原の戦いがはっきりすると、細川忠興は徳川家康の許しを得て福知山城を攻め、小野木重勝は破れた。明治4年の廃城令で福知山城は廃城となる。建物は払下げとなり二の丸台地は埋め立てられた。二の丸の建物は明治20年に取り払われた。昭和60年絵図に基づき天守小天守が復元された。(参考サイト ウィキペデイア)
     
     
  大天守 
    
 
 
 
本丸にある銅門脇番所  左の写真の番所の説明  小天守 
     
石垣のアップ…転用石が見える(転用石の説明は右下参照)   
      
転用石(供養塔などから転用した)
の説明版 
    
    豊磐井の井戸(深さ50mあり) 
 
  鉄砲石の説明(鉄砲の名手の技量を
後世に伝えるために建てた碑の説明)
 
 
     
アクセス
・JR西日本 福知山線 福知山駅より徒歩15分・北近畿タンゴ鉄道 宮福線 福知山駅から徒歩15分
 
 
              

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