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江戸城 東京都千代田区、中央区、港区、新宿区 1st 2012.7〜9 訪問 2nd 2014.4.22 訪問お知らせ |
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〜 築城者 太田道灌、徳川家康 築城年 1457年 主な城主 太田道灌、徳川家康〜歴代将軍 主な遺構 田安門、清水門、外桜田門(以上重要文化財) 多門櫓、辰巳櫓、大手門など 〜 | ||
通称千代田城。江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城をベースに徳川時代に段階的に改修結果、総構周囲約4里と日本最大の面積の城郭であった。三代家光の代には五層の大天守があった。以後、戊辰戦争までの270年間一度も戦火に遭うことなく栄えたが、明暦(1657年)の大火で大天守や本丸・二の丸殿舎などが焼失、明治に至るまで13回の火災に遭う。大政奉還の翌年から皇居となり今に至る。 | ||
江戸城 2012.07〜09 撮影 日比谷見附跡〜四谷見附跡〜赤坂見附跡〜牛込見付跡など江戸城外郭門を最後のほうに追加しました。 ビデオアルバム「江戸城散策」を作成、You Tubeにアップしました。こちらからYou Tubeページにジャンプしてご覧ください。 |
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東京駅から丸の内、大手町のビジネス街を歩いて、先ずは、新装なったパレスホテルの側の和田蔵橋を渡って和田蔵門跡を経由して、内堀通りを渡り、桜田二重櫓〜桔梗門〜坂下門〜二重橋〜桜田門まで歩いてみましょう! | ||
和田倉橋 | 和田倉御門跡 | |
和田蔵門橋から石垣を見る | 桜田二重櫓 江戸城に残る唯一の隅櫓 | |
桜田二重櫓の左 桔梗門を臨む | ||
桔梗門 この門は三の丸 に入る南門 |
桔梗門 別名桜田門 | |
坂下門 坂下門外の変:水戸浪士による老中安藤信正襲撃事件がこの門前で起こったが、安藤信正は傷ついたが城内に逃げ込み一命は取り留めた。 | 坂下門から二重橋方面への途中の石垣 | |
皇居正門 旧江戸城西の丸の大手門 | 天皇誕生日と新年2日の皇居一般参賀で一般の方も入場可能。 | |
二重橋 | ||
桜田門 昔はこの付近は桜が多かったのでこの名称 | ||
桜田濠 | ||
半蔵門を後にして内掘通りに沿って千鳥ヶ淵〜乾門へ。 北の丸公園を左手に見て竹橋〜平川門に行き、そこから皇居東御苑に入り、天守跡、大奥跡、富士見櫓、松の大廊下跡、石室などを巡り大手門へ。 | ||
半蔵門 服部半蔵の組屋敷があったことから命名 | ||
乾門 | ||
北桔橋門 | 天守閣跡 | |
1638年焼失後、加賀前田藩によって築きなおされた土台 | ||
焼け跡が残る石垣 | ||
天守台から前方に見える往時の 建物・門等の平面図の案内図 |
公園全体の案内図 | |
大奥跡の標示 | 富士見櫓(右)とその説明板 | |
堀側から臨む | ||
大手中之門跡 | ||
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百人番所 | 大番所 | |
大手門 | ||
大手門で内堀通りに出たら竹橋方面、 平川門〜竹橋〜清水門に行ってみましょう! | ||
平川門 地下鉄竹橋駅前 | ||
竹橋御門跡 | ||
清水門 北の丸東側は御三卿の1つ清水家の屋敷地だったが その入り口の門であったためこの名前がある。 |
堀の水は緑色…特に大手町のビル群が見える | |
清水門 | 石垣の草を除去中 | |
清水門の高麗門 | 枡形内から渡櫓門 | |
枡形内より大手町方面を臨む | 清水掘り石垣 | 枡形内から渡櫓門 |
雁木坂 | 雁木坂 北の丸庭園入口へ | |
坂上から枡形を見下ろす | ||
皇居を中心に地図を! | ||
これより、江戸城外郭(外堀通り)の見附跡、御門跡、御門に通じる橋などを回ります。これでもまだ全て訪ねてはいません。また、機会を見つけて訪ねます! | ||
日比谷掘 丸の内警察署前の交差点より撮影 | ||
日比谷見附跡 江戸城堀外郭城門の一部 | ||
弁慶橋 江戸城普請の大工の棟梁であった、 弁慶小左衛門が作った橋であることから 弁慶橋と名付けられたと言われている。 |
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弁慶橋より弁慶掘りを臨む | ||
旧赤坂プリンスホテル跡地 横の坂の途中に石垣が残っている。 |
赤坂見附跡 | |
四谷見附 見附とは枡形を有する城門で外側に面する部分をを言 | ||
牛込橋 この橋は牛込見付門と共に1636年阿波徳島藩主蜂須賀忠英によって建設された。 | 牛込見付跡 JR飯田橋西口すぐのところにある | |
右奥に屋根が見えるのがJR飯田橋駅 | ||
ここからは竹橋・一ツ橋近くのゆかりの地 を訪ねました。雉子橋近くの石垣の一部 |
雉子橋は千代田区一ツ橋にあるが江戸時代初期に雉子橋御門が築かれていたので御門橋としてそのころからあったと思われる。 | 残存石垣の一部(左側) |
一ツ橋 | ||