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年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

結城城(ゆうきじょう) 茨城県結城市結城 2015.4.23 訪問

 ~ 築城者 不詳(結城朝光との説がある) 築城年 不詳(寿永2年 1183年?) 主な城主 結城氏、水野氏  廃城年 慶応4年(1868年) 遺構  土塁、空堀  ~
  結城城は治承年間(1177~1180年)に結城朝光が築いたとされるが確証はない。むしろ南北朝動乱期に築城されたと見るべきであろう。その後、結城家は室町時代に関東八家の一に列して勢力をふるい、戦国時代には宇都宮・佐竹氏らと伍して生き残り、天正19年(1591年) 徳川家康の二男秀康を17代晴朝の養子にもらい受け、慶長6年(1601年)越前福井への国替えまで関東の雄として栄えた。結城氏の転出後、結城城は廃城となったが、元禄13年(1700年)水野勝長(18,000石)の入部によって再興され、明治に至るまで水野家の居城となった。結城の名を不朽にしたのは永享12年(1440年)の結城合戦である。関東公方足利持氏が将軍義教と争って滅ぶと結城家11代氏朝(1402~1441年)は、持氏の遺児春王丸を奉じて兵を挙げた。幕府は諸将に氏朝らの討伐を命じたが、結城落城まで1年余の歳月を費やし、結城の名を天下に轟かす結果となったのである。(結城市教育委員会が現地に設置の案内板、「結城市指定史跡 結城城跡」より。
JR水戸線 結城駅から徒歩約20分…  北口からの道路と20号と交差する場所で、この道標が。城跡は真っ直ぐ行くが、先ずは孝顕寺・称名寺へ行く… 少し歩くと、右側に孝顕寺が…
 結城市指定文化財 孝顕寺三門(江戸時代)…  孝顕寺本堂… 
   
 孝顕寺は、結城家15代政朝が永正寺を設立、この地に移転されたが、18代秀康により新たに孝顕寺と改称された。…孝顕寺の西側(墓地の端)には御朱印堀が(県指定史跡)… 
     
 
 孝顕寺から東側の門を出てすぐのところに案内板「親鸞聖人御旧跡、結城城初代城主朝光公墓所…浄土真宗 称名寺」との標示  称名寺…鎌倉時代の初めころ親鸞聖人の教えを信仰した結城家初代の武将朝光が聖人の高翁真仏を開基として建立した。寺には朝光から結城家4代までの墓がある。(現地の案内板より)
     
 大将塚…大将とは誰か?頼朝であり、遺髪が埋められているとの説があるが不詳!  結城朝光の墓…結城市指定文化財 
 親鸞聖人銅像…
 称名寺から駅前通りに出て、城跡を目指す…  途中にあった住吉神社。筑地塀・城跡公園は右方向… 市役所の前の日高川通り(筑地塀)… 
     
右 結城城掘割(水辺公園)…左が日高川通り・市役所方面   結城小学校…学校創立は明治5年。右の写真の校門とか筑地塀など趣がある。
     
 紬の里の近く、ここを右方向へ行くと結城城跡…  結城城跡公園が見えてきた…このすぐ右に空堀。城跡公園(実城)と結ぶ通路には土橋や木橋がかかっていたと思われる。 
     
 城跡公園の入口手前の大空堀…奥の竹藪にも空堀は続いている。幅は20メートルぐらいはありそう。深さは、現状ではそれほどではない。 結城市浄水場…この前の道も土橋だったと思われる。
聰敏(そうびん)神社…結城藩水野氏の初代水野勝成を祭神としているー公園入口手前左側にある
 城跡公園入口… 旧実城部分だろう…  「結城百選」の標示柱…
 結城合戦の記録を未来に伝えるためのタイムカプセル埋設の記念碑… 結城城の曲輪と内堀の説明板にあった縄張り図の拡大…
  
 タイムカプセルの埋設地点…
 
 城跡公園から北側に「あじさい坂」…ここを降りて土塁を見上げる 公園の北側を少し歩いて振り返ると、両側には畑地が広がる。当時は湿田だったらしい。この道は土橋であったらしい。搦手口に当たるとか…  右に公園を見て東側へ歩く…城跡公園の周囲には空堀が取り囲んでいた模様
 公園の北側からやや東部分を見る。現在では、麦畑になっている…ここも当時は湿田状になっていて、木橋などを架けて攻め難くしていた模様。
 
 北側に行き、少し離れた場所から公園(実城)側を見る。  土壇状になっている場所が見えたので行ってみたが、何も発見できず…
      
 実城から中城北側の竹藪に残る空堀を探したが、明瞭な個所は分からず…
 
 同様にこちらもはっきりとは分からなかった…  南側にあった三日月橋。これは実城と中城の間の空堀に架かる橋ではなく、実城の一部…埋蔵金探しのために掘られたものだとか?
 最初に見た大きな空堀に降りてきた…この後、遠くに見える竹藪に残る空堀を見に行く
     
 竹藪の中に入っていく…
 
 竹藪の中はこのように結構立派な空堀があったと思われる。蜘蛛の巣もあり足場も悪く歩きにくい…
     
 北側の上に上がり、改めて見下ろす…
 
 空堀の上に上がって、最初に見た空堀を逆方向から見下ろす… 遠くに聰敏神社の鳥居が見える…  中城から実城方向を見る…
実城と中城の間の堀を橋の上から見下ろす…
   
 どんどん歩いていくと、再び実城(城跡公園)に来た…
 
 結城第一高校付近の水路…大手部分近くか?  結城城掘割(水辺公園)…公園としてはきれいに整備されている 
 結城城の北の方に、「玉日姫(たまひひめ)の墓」がある。玉日姫は、関白・九條兼実の七女として誕生し浄土真宗の開祖・親鸞聖人の妻となりますが、越後に流された聖人が、赦されて関東に向かったとの知らせを聞いて、侍女の白河の局を伴い関東に下りました。玉日姫はこの地方一帯で布教を続ける聖人を助け、自らも剃髪します。やがて、聖人が京に戻ることになる際も、その教えを広めんがために結城に留まり、ここに草庵を結び生涯を送ったということです。(現地の案内板より抜粋)
     
アクセス
  • JR水戸線結城駅から徒歩約20分。
    
※「結城城ーをYouTubeにアップしました。こちらからご覧ください。

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