吉田郡山城 広島県安芸高田市吉田町吉田 2014.6.25 訪問お知らせ |
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〜 築城者 毛利氏 築城年 南北朝時代(旧本城) 主な城主 毛利氏 廃城年 天正19年(1591年) 遺構 郭、石垣、土塁、堀切、井戸 指定文化財 国の史跡 日本100名城 〜 | ||
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安芸高田市役所前のバス停のところにあった「案内図」を引用…市役所前のバス停から歴史民俗博物館へ、そこで地図、パンフを入手して各種アドバイスもいただきました。赤く塗ったルートで回りました。道路・標識はよく整備されており、比較的楽でしたが、約200mの比高で、足場の悪いところも一部あり、注意するにこしたことはないですね!旧本城は、若干危険とのことだったので諦めました。 | ||
広島バスセンター …ここから「吉田出張所」行のバスで、「安芸高田市役所前」で下車。徒歩約10分で登山口。 |
途中の道から「歴史民俗資料館」へ行く途中、右側(北側)に郡山を見る | 郡山城跡、毛利元就墓所、歴史民俗博物館 との案内表示板が… |
安芸高田市歴史民俗博物館(百名城スタンプ設置所) 郡山城に関する貴重な資料が展示されています。 |
博物館の横の道 …ここから前方の山を目指す |
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杖が無料で貸し出しされている。山城なので「杖」は大変ありがたい(勿論お借りしました) | 博物館に展示の「地形図」です。 …ここは撮影可能の場所で、全体像を見るのにわかりやすく、拝借しました。 |
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お好みハウス「山小屋」 営業時間 11:30〜19:00 お立ち寄りを!おすすめです! |
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毛利公居館 御里屋敷跡 | 「史跡 郡山城址」の石碑 | 大通院谷遺跡への道 |
毛利元就公火葬場伝承地 | 郡山大通院谷の東側山麓に沿って、約100mを検出した断面V字型の薬研掘の堀。 | |
現地に設置の「薬研掘り」の説明版より抜粋させていただきました | 毛利元就公墓所参道 | |
毛利元就公墓所(洞春寺跡)毛利元就と一族の墓所は菩提寺洞春寺に置かれた。 | 一族の墓所 | |
百万一心碑 毛利元就が郡山城拡張の際、埋めたと言われる石に掘り込まれていた文字が「百万一心」…一致団結の大切さを教えたものとされている。 | 毛利元就墓所 元就は1571年6月14日郡山城内で生涯を閉じた。 享年75歳。3回忌の際に菩提寺洞春寺が建立された |
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本丸800mの案内標識 | 登山口の標識 | 本丸700mの標識…堀切? |
登山道 | 本丸まで530m地点での眺望 | |
本丸へ350mの地点 | もう少しだ…比較的歩きやすい | |
ちょっと道が狭くなってきた | 御蔵屋敷 | 本丸100mの標識 |
御蔵屋敷跡…右が説明板 | 釣井の壇・姫の丸方向へ | |
釣井の壇は、長さ75m、幅15m、面積約1,000uの長大な曲輪。直径25mの石組井戸がある。 …本丸に最も近い水源(設置の説明版より抜粋)。 |
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この井戸は、現在は約4mになって水は湧いていない由。 | 姫の丸への道 | 姫の丸跡…説明派次の写真参照 |
姫の丸壇跡の説明 | 釜屋壇跡とその説明 | |
厩の壇跡へ通じる道 | 厩の壇跡とその説明 | |
本丸・三の丸方向へ行く | 三ノ丸 石塁の一部があちこちに… | 三の丸の石塁跡の標示が |
三の丸跡の標示と説明 | ||
二の丸跡の標示と説明 | 御本丸跡の標示 | |
本丸跡の標示と説明 | 二の丸跡から三の丸を見下ろす | |
二の丸跡 | ||
三の丸跡の石類の残存…あちこちに露出している | ||
土塁跡 | 三の丸石垣跡と公園への下山道 | 三の丸石垣の説明 |
三の丸石垣 | 満願寺跡の石組の池跡 | |
蓮池の標識 | ||
蓮池 | 満願寺跡の標示柱と説明 | |
郡山公園方向へ…下山 | ここからは下り道…歩きやすい | 尾崎丸方向への標示 |
尾崎丸堀切 | 郡山公園方向への道 | |
尾崎丸堀切 | ||
郡山公園へ向かう | 右が旧本城だが、若干危険 とのことで諦めた |
展望台 |
展望台よりの眺望 | 郡山公園は毛利氏時代の興禅寺跡で、大正4年に築造された | |
郡山城跡の碑 | 案内標示 | 吉田小学校 後ろに見えるのが郡山城址のある郡山 |
アクセス: 広島バスセンターから、広電バス「吉田出張所」行きで、「安芸高田市役所前」下車 登山口まで徒歩約10分位。バス便は1時間に2本ほどあるが、約1時間半かかるので、広島バスセンターを早朝出発することを勧める。 JR芸備線向原駅からタクシーかバス。バスは本数が少ない。 |
※「吉田郡山城ー広島県安芸高田市」をYouTubeにアップしました。動画のページ(こちら)から | |