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要害山城  山梨県甲府市上積翠寺町  2016.3.12 訪問お知らせ

 〜 築城者 武田信虎 築城年 1520年(永正17年) 主な城主 武田氏城番 廃城年 1600年(慶長5年) 遺構 土塁、石垣、空堀 指定文化財 国指定史跡 別名 要害城 積翠山城 
要害城は、永正17年(1520)に武田信虎が築いた山城です。居館と政庁を兼ねた武田氏館に対し、緊急時に立てこもる詰の城としての役割を担っていました。信虎・信玄・勝頼と三代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築・再整備されました。城は山腹から主郭に至る通路に沿って、桝形虎口や郭が複雑かつ連続的に付設されているほか、竪堀や堀切を要所に設けて防御を固めています。山頂の主郭には、規模の大きな建物が存在したものと推定されます。
南東尾根上には支城の熊城があり、深い堀切で区切られた連続的な小郭と畝状竪堀が特徴的です。また、ふもとには根小屋の地名が残り、城番を勤める武士の屋敷が想定されています。要害城は、熊城とともに遺構の保存状態がきわめて良く、記録が豊富に残されているなど、戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重な山城です。(要害山登山口にあった説明板より)
甲府駅北口から要害山の麓にある積翠寺を目指す…バス便もあるようだが、時間効率を考慮して、私たちはレンタカーを借りた。 甲府駅前にあった武田信玄像…
      
 積翠寺温泉「要害」の入口に「要害山」の道標がありここを入る…
 
入口にあった案内板… 要害山の想定図の中心部拡大…各郭が尾根上に直線的に配置されている
     
 同じく入口にあった「史跡 要害山」の説明・案内板…右の鳥瞰図はこの左の「復元想定図」の拡大
 
登山道を上がり始めた場所から、積翠寺温泉「要害」と甲府盆地を見る…あいにくの天候だったが晴れていれば眺望が素晴らしいだろう。真ん中の写真は少し歩いて振り返って見たところ。右端の写真では、早くも最初の石積が見えて来た。
   
少し先の曲がり角部分にも石積が… こんな道をひたすら歩く…歩きやすい! 右方向、要害山方向へ行く…
 「史跡境界」との標示版が見えて来た…”ここから国史跡要害山の指定区域です”との説明(右の写真) 再び登山道を歩く… 
     
竪堀跡の標示(右の写真)に続いて、土塁、竪堀跡の標示が見えてくる…この先に主郭に続く道が
      
左の写真のところを曲がってすぐ左に見えて来た石積…
 
不動曲輪手前の第1・第2の門(虎口)部分と思われる…枡形虎口状になっているようだ
      
少し眺望が開けてきた…ちょっとした削平地 
 
曲輪との標示個所を右に見て、不動曲輪方向へ歩く…  この先に「曲輪」と標示の場所が(左の写真)が見える…   
     
 
曲輪の説明板…
 
「不動明王」が祀られている… 不動曲輪からの眺望…
不動明王の石像…背面には武田不動尊との標示があった
第3の門…主郭に至るまで、更に5つの門と、いくつかの曲輪が見えてくる  左の門の手前に見えた横堀跡?
    
 門の脇に当たる場所の石積み…
別の曲輪が(左と左下の写真)の両側に曲輪があり、右の写真の虎口につながる…  
 やや大きめの曲輪を見て…   第6の門?
     
  
ここもちょっとした削平地、曲輪から次の曲輪へ…   次の門跡…第7の門?
     
 いよいよ主郭…右の写真が第8の門らしい。この虎口の先が主郭 
     
 主郭の周囲には土塁が残る…
 
 主郭・山頂部にあった「武田信玄公誕生の地』の石碑…   「要害山 山梨百名山 780m」の標示柱…
     
 要害温泉、深草観音、岩堂峠への道標…
 
 主郭部の標示… 「庭園に用いられたと思われる石」が残る…  主郭の東端方面への虎口的な場所…
     
 主郭から更に東方向へ行くと「堀切跡」の標示柱…下の写真を見ると石積みを用いた堀切 
     
  
  堀切跡から、更に東に進むと尾根上の細い通路が…
  
更に進むと「竪堀跡」の標示が…
 
 竪堀跡から更に尾根道を進む…この先は熊城に通じるらしいが危険も感じるので、主郭方向へ引き返す 
     
 ここにも堀切跡…
 
アクセス:JR中央線「甲府駅」からバス…麓の積翠寺まではバス便があるが便数が極めて少ない。
                      
 ※ You Tubeに「要害山城ー山梨県甲府市」を投稿しています。You Tubeにジャンプしてご覧ください!

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