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年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

山形城 山形県山形市霞城町 1st 2013.4.23  2nd 2015.9.30 訪問お知らせ

 山形城は1356年斯波兼頼により創建されたと伝えられている。現在の山形城跡は、文禄年間(1592~1595)に最上義光により拡張された。最上義光は次々に一族を切り従え着々と勢力を拡張した。その後関ヶ原の戦いの際東軍に与したため、上杉景勝の腹心直江兼続の2万3千余の大軍の侵攻を受けた。その際、最上義光は自ら陣頭に立って指揮奮戦し山形城を死守した。この功により義光は57万石の大大名になり、最上氏の黄金時代を迎えた。しかし義光の孫の義俊の時代に世襲争いを巡るお家騒動を起こし、1622年最上氏は改易となり近江国1万石に移された。その後、鳥居忠政が24万国で移封された。この鳥居氏の時代(1622~1628)に、ほぼ現在の形に整えられた。その後、3代将軍の家光の弟である保科正之が20万石で移封されるが、その後も城主はめまぐるしく変わったが、その間、山形城の構造は大きく変わることはなかった。(資料 主として現地説明板より抜粋・編集)
山形駅西口…山形城南門まで徒歩約8分 山形城南門のところあった「案内図」…
     
霞城公園(南門)まで400m…
 
南門から入り体育館の横を北方向へ行き、大手橋を通り本丸一文字門・桝形→本丸御殿発掘現場→ソフトボール場横の発掘現場→西門→西側土塁上を歩き→北門→北側土塁上を歩いて→二の丸東大手門へ…その後三の丸発掘調査現場→三の丸土塁跡→三の丸堀跡の順で回った。霞城公園案内図に赤色ラインを付してルートを明示した。
 
南門(二の丸南大手門跡)への通路(土橋)…  土橋上から東側の堀を見る…
     
 土橋上から南門・枡形虎口方向を見る…
 
 南門手前左側の石垣を見る… 桝形出口付近の石垣…矢穴跡が残る石(右の写真)
     
 発掘調査中…27年10月頃まで 土橋から内桝形虎口に入る… 
     
 
 枡形虎口を出て振り返り見る…   駐車場と奥に復元土塁が見える…
     
 復元された土塁…キレイすぎる
 
 本丸御殿広場(発掘調査中)の手前の内堀と土塁…右の写真の右奥に本丸一文字門が見える  
     
「石垣の崩落跡」の説明板…
 
 石垣の崩落跡…右の写真で崩落石垣の平面図が 
     
 説明板より抜粋した崩落石垣(移設保管前)の航空写真…
 
本丸一文字門石垣・大手橋を南側から見る…  現地案内板、「山形城の堀・土塁」より抜粋…本丸堀・土塁の断面図…堀幅約33mと記されている 
     
山形藩の歴代藩主…
 
 本丸一文字門石垣・大手橋 櫓門・高麗門・桝形…櫓の形が漢字の「一」に見えることからついた名前。
     
大手橋上から右側内堀を見る…
 
 本丸一文字門内側から大手橋方向を見る…  大手橋手前にあった一文字門復元完成予想図…
    
桝形内側…
 
桝形虎口の内部…山形城は基本的に土塁と堀で固めた城だが、下の写真のように虎口の周りは石垣を築いている。  枡形虎口から本丸に通じる場所だが、「本丸内の公開4月中旬から10月下旬まで」との記載…
     
本丸内にから枡形内部を見る…
 
 本丸御殿の発掘調査中であり、本丸石組井戸が発見された(下の写真)…右の写真では、三の丸の石組井戸についても解説している。 
     
 
本丸御殿跡の発掘調査の成果…平成20~23年度までの調査で礎石建物跡や掘立柱建物跡などの遺構が見つかった。これらはおよそ16世紀末から17世紀初頭で最上氏が藩主であった時代と思われる。今後範囲を広げて発掘調査を行う、等々の説明がある。右端に本丸御殿跡の航空写真を抜粋した。
     
 南門を入り最初に見た復元土塁の西側端の部分に来た…
 
本丸から道路を隔てた場所の発掘調査現場に向かう… 本丸御殿広場から道路を挟んでソフトボール場の手前の場所が発掘調査中であった…
  
 
 二の丸西側で発掘調査中… 
     
 
 ソフトボール場の南側の土塁上に上がり西門方向へ歩く… 
     
西門が近づき土塁から降りる… 
 
 西門虎口…ここも桝形。西不明門との標示柱
     
 西門への土橋から左側堀を見る…  橋上から右側(東側)の堀を見る…
     
 
 再び西側の土塁上に上がり北側の堀方向へ行く…
     
 北西の隅の櫓台的な場所を通り、(右の写真の)北門(不明門・搦手口)枡形を見る 
     
 
 北不明門跡の標示柱…  歩兵第32聯隊址の石碑… 桝形内に入る…再度北側堀に面した土塁上へ上がる 
     
 土塁上から北側~東側の堀を見て二の丸東大手門の方へ行く… 
     
 
 二の丸東大手門前の広場に出てきた…   
     
 二の丸東大手門・櫓…4月から11月まで公開中であった。 
   
最上義光公勇戦の像…上杉方の直江兼次率いる2万3千余の大軍を迎え、自ら陣頭に立って指揮奮戦し敵を撃退した最上義光が決戦場に向かって出陣せんとする勇士。右の写真参照。右下の写真は左の像を正面から撮影したもの‥  
     
 
 二の丸東大手門・枡形内部… 
     
 東大手門から、堀・JR鉄道越しに外部(市街)方向を見る…
 
東大手門を出たところ狭くなった堀とJR鉄道線路が…  門を出て橋上から振り返る…
     
 二の丸東大手門についての説明板…
 
 三の丸の遺構を探して南の方向へ…(右の写真は本丸御殿発掘現場にあったマップ)
 
 広域都市計画道路建設に伴う発掘調査が実施中…下の写真参照
 
     
山形城三の丸土塁…歌懸(うたかけ)稲荷神社境内の西側に残る土塁。 
     
 
 山形城三の丸堀跡…右の2枚の写真の一部(歩道の緑色の部分)が確認された三の丸の堀の一部(下の説明板参照) 
 
アクセス:山形駅から徒歩で約10分

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