よしおば30
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全国城めぐりネット
津山城
岡山県津山市山下
2013.5.28 訪問
お知らせ
~
築城主
山名忠正
築城年
嘉吉年間(1441年~1444年)
主な城主
山名氏、森氏、松平氏
廃城年
明治6年(1873年)
遺構
石垣、堀
その他
国の史跡
再建造物
備中櫓 堀 ~
室町時代、嘉吉年間(1441-1444)美作国の守護大名であった山名教清が、一族の山名忠政に鶴山に鶴山城を築かせたのが最初。しかし応仁の乱で山名氏が衰退したのちに廃城となった。江戸時代、1603年に森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩。同年、現在見られる津山城の建設に着手。また、城地の名前を「鶴山」から「津山」に改めた。1616年、13年の歳月をかけて、5層の天守を戴き、櫓や城門など80余棟が建ち並ぶ大規模な近世城郭が完成した。1697年、森氏断絶、安芸国広島藩主・浅野綱長の預かりとなる。1698年、松平宣富(越前家)が越後国高田藩より10万石で入封。1809年、火災により本丸御殿焼失。明治6年廃城令により競売に付された。明治7年―明治8年、天守、櫓などの建物が悉く破却される。(資料 ウィキペディアより抜粋・編集)
縄張り図
津山絵図 元禄10年頃 ありし日の津山城(北西から)
昇櫓
裏下門
長柄櫓
鉄砲櫓
表中門の階段
表中門の階段と、右が
見附櫓に上る階段
二の丸への階段
二の丸から見た備中櫓
階段の途中から
見上げた備中櫓
見附櫓に上る階段
西から見た備中櫓
多門櫓下からみた備中櫓西
の復元された塀
多門櫓の石垣
白土ヤグラ跡
…何故か櫓がカタカナ
色付櫓
格子門
多門櫓 上が天守台
裏下門を上がった
所から見た大戸櫓
13番門の後の石垣に排水口か?上は涼櫓
長屋ヤグラ跡
腰巻櫓の石垣
裏鉄門跡
裏切手門
腰巻ヤグラ跡
長屋ヤグラ跡
月見櫓
栗積櫓から見た長屋櫓跡
この階段は立ち入り禁止、上には矢切櫓
月見櫓の下の東側
12番門
瓦櫓跡から12番門跡方向
辰巳櫓下
表鉄門前から備中櫓
表鉄門跡
本丸から備中櫓
長局から下の眺め
表鉄門から本丸に上る階段
裏切手門
五番門
右の石垣が長櫓跡
備中櫓の間にある石垣の隙間が向こうが五番門で、手前が六番門
天守台から見た長櫓跡と八番門
七番門
涼ヤグラ跡
大井戸の跡
道明寺櫓跡が菜の
花で埋まっている
裏下門に降りる階段、
向こうが紙櫓
アクセス:JR津山駅から徒歩15分
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