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年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

土呂陣屋 埼玉県さいたま市北区土呂町 2015.2.3 訪問

〜 築城者 初鹿野信昌 築城年 天正18年(1590) 主な城主 初鹿野氏 廃城年 幕末? 遺構 土塁 現況 宅地、畑 〜 
 初代初鹿野(はじかの)昌久は甲斐国武田の家臣であったが、主家滅亡後、徳川家康に仕え、天正18年(1590)徳川氏の関東入国に伴って土呂村の領主となったもので、この地蔵堂付近に陣屋を築き、以来幕末まで知行した。同氏が甲斐国から勧請したという御嶽社は幾度かの変遷をみて、現在隣の薄田氏屋敷内に祀られている。また、東武線南側の墓地跡には初鹿野氏の墓碑が残っている。(さいたま市が現地に設置の説明板、「登呂の地蔵堂」の後半部分より抜粋)
大宮公園駅前にあった案内図…土呂陣屋までは徒歩約15分か。地図上に「寿能城址」の標示が見える。 東武野田線「大宮公園」駅…
  
 登呂の地蔵堂の傍の「地蔵様」…
 
地蔵堂の横西側にあった…  奥に見えるのが登呂の地蔵堂…江戸時代の土呂村領主初鹿野氏が近くの同家の墓守堂として建てられたとも言われている。「新編武蔵野風土記稿」には「村民の持」と記されているのみで、創建や由来については詳課ではない…写真にある説明板(さいたま市が昭和60年に設置)より 
      
 (説明板にある御嶽社が祀られているという)地蔵堂の隣の薄田氏の屋敷
 城址にあった長屋門…土呂陣屋の遺構かどうかは不明    長屋門の南側の残存土塁の一部の裏側の雑木林の間の径。左右の林・竹林は城跡の一部らしいが、遺構は確認できず…私有地で入れない
       
北側の(見沼代用水越しに)住宅地・老人保養施設側を見るが、遺構らしきものは確認できず…
 
…再び、長屋門側に戻り、城址と思われる部分を見る…これが、変形された土塁の名残みたい!
    
 地蔵堂の左側から、城跡の北側に降りていく途中で、発掘調査をやっていた…調査者に聞いたところ、陣屋とは関係なく、縄文時代の遺跡の発掘調査とのこと
     
 城址の北側から東武線線路方向を見る… 地蔵堂の裏手の通り(旧堀跡?)のところの削られた土塁の名残らしい。…縄文遺跡発掘中の学芸員らしい人に、土塁の場所を聞いたところ、「この辺だろうがかなり変形されている」とのことだった。
     
 老人保養施設建築現場横の土塁の名残のように見える部分(不詳)
 
アクセス:東武野田線「大宮公園」駅より徒歩約15分
※「土呂陣屋ー埼玉県さいたま市をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。 
                                              

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