砥石・米山城(といし・こめやまじょう) 長野県上田市上野 2016.4.6 訪問お知らせ |
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~ 築城者 不明(真田氏或は村上氏築城説がある)? 築城年 室町時代後期 主な城主 村上義清、真田幸隆、真田昌幸 廃城年 不明(米山城席にあった説明板では、「昌幸はこの城を居城としたが天正11年(1583)上田城に移った。それ以降も上田城外護の要害として重要視された」との説笑みがある) 遺構 曲輪、堀切、土塁、竪堀、石積み、虎口 別名 戸石城 指定文化財等 長野県史跡 現状 山林 ~ | |||
この城跡は、北に太郎山を背負い、東側は神川の断崖に臨み東太郎山の支脈が南方に突き出た先端に築かれた要害堅固な中世の山城跡である。城跡からの眺望はすばらしく、上田・小県地方はもちろん、烏帽子岳西麓から北佐久方面まで一望のもとに見渡すことができる。築城の時期については諸説あり定かではないが、埴科郡坂城に本拠を置いた村上氏、あるいは真田本城に本拠を置いた真田氏などが、上田・小県・佐久地方の軍事上の要として築いたものと考えられている。いずれにしても、室町時代後期の頃である。城跡は北から南にかけて枡形城・本城・砥石城と並び、本城と砥石城の間には馬場も設けられていた。また、曲輪、石塁、堀切などいくつもの防御設備を設けており、この地方随一と言われた堅塁でもある。その要害堅固さは武田の「砥石崩れ」の故事をよく物語っている。山城の多くは、戦略上の要害として築かれるが、砥石城は規模が大きいとともに、本城は居館としても用いられ、居住性をも兼備した特色のある山城であり貴重である。(長野県教育委員会が登山口誓うに設置の案内板「長野県史跡 砥石城跡」より) | |||
長野新幹線 上田駅(左の写真)は大河ドラマ「真田丸」一色で盛り上がっていました。ここから、上田バス真田線、傍陽線で約20分、「伊勢山」バス停へ… | |||
伊勢山バス停…1時間当たり2本位はある | |||
櫓門近くにあった案内図…左側のバス停から朱色で明示したルートで、米山城→砥石城→本城→枡形城→本城経由陽泰寺→伊勢山バス停のえんじ色で示したルートで回った。昼食を挟み、約1.5時間。 | バス停の近くにあった道標… | ||
砥石城跡・米山城跡入口の標示…ここから左に入る | |||
庚申塔のところを左折して、すぐ、「砥石・米山城跡徒歩近道」と標示の場所に出る。ここを上がる… | 櫓門に近づくと、「砥石城・米山城に至る 30分」との標示石が… | ここを右に入ったところが櫓門。「伊勢山」とのバス停が見えるが、現在は使われていない模様… | |
後方の山のふもとに「櫓門」が見えるかな?その櫓門唐入城・登山… | 「熊出没注意」の標示が… | 「櫓門口登山道」の標示石…”なめんなよ!”と警告が | |
櫓門に上がる径… | 櫓門の上から伊勢山市街を見下ろす… | ||
櫓門に到達…実際にここに櫓門があったかどうかは不明。この櫓には登れます、右の写真!雰囲気はありますね! | |||
櫓門から最初は緩やかな登山路を上がり、砥石城との分岐の手前から見た「米山城」…米山城は標高734m、比高は130m | 櫓門の上から、北方向を振り返り見る…入口部に駐車場・東屋がある | ||
砥石城との分岐までは緩やかな登山道が続く… | |||
「砥石・米山城に至る」との標示柱… | 分岐地点に来た…左、米山城10分、右、砥石城 15分の標示 | 米山城へ向かう…最初はこのような緩やかな道 | |
この辺から足場が悪くなり、滑りやすいのでロープが張られているんは有り難い… | 米山城に到着…富士山方向の標示があるが。訪問時には富士山は見えず | ||
先の方に山頂への緩やかな別ルートの入り口が見える…直進して山頂を目指す | |||
山頂にあった、「米山城跡」説明図及び「砥石・米山古城図」(右の写真)…砥石城~本城~枡形城の位置関係が現在の説明と異なるのは、村上氏が入城時は金剛寺峠からであり、真田氏は伊勢山の大手口だったからとの説がある(城主入城のの方向は城の位置で決まるとか | 右の方から米山城・山頂に来た…砥石城に至るとの標示が見える | ||
米山城の主郭(山頂)からの眺望…上田市街方向を見る | 村上義清公の碑… | ||
砥石城方面 緩やかな迂回路と標示…こちらのルートで戻る | |||
上田市街方向を見る…米山城主郭から。 | 最初に入って来た主郭の東屋を振り返る… | 迂回路を通って砥石城へ…「切岸」との案内標示が | |
右に谷(切岸?)を見て、山の斜面に沿って最初の登山ルートへ戻る… | 左下の合流地点の手前で、北東側の山、砥石城跡を見る… | ||
最初の険しい登山道に合流…ここからロープを伝い砥石城方面へ | |||
米山城と砥石城の分岐の地点…右下方向が、最初に上がって来た登山道 | このような尾根道をしばらく北東方向へ進む… | 西側の集落、金剛寺方面を見下ろす… | |
こんな感じで、階段状の通路を登る…この写真では緩やかそうに見えるが、結構急な階段が続く。分岐点から約15分であり、途中数回休憩して進んだ。ロープがところどころ張られており、軍手必携ですね!また、トレッキングポールもあった方がよさそうです。 | |||
山頂手前にあった、岩(石)を削って作った階段… | |||
石の階段を過ぎてすぐの階段… | 山頂に到着…眺望は素晴らしい | ||
関東の富士見百景のひとつ…あいにく富士山は見えず、ここには三角点があった。 | |||
砥石城の主郭から見る米山城の主郭部…思ったより狭い、米山城の主郭の方が広い。標高789m。 | 下の写真の景観図越しに上田市街方向を見る… | ||
米山城の方向の先に上田城がある筈だが… | |||
「本城へ至る」殿標示版が…ロープを伝い急な斜面を降りる | 左の写真の斜面を降りて、振り返り「砥石城跡・主郭部」を見あげる… | ||
この切岸は、自然の断崖と言うより人手が加えられたとみられる由。伊勢山方向からの道を抑えている位置になるとか… | |||
「本城・枡形城に至る」との道標… | 暫く行くと、大手口の説明板が見えてくる(右の写真)…伊勢山からの道が大手 | ||
本城の主郭のすぐ下の部分(腰曲輪?)に続く道…途中、陽泰寺方向への下山路との分岐(右の写真)を通り本城主郭へ | 本城の説明板…かなり広い郭で館もあったのではとの説明がある | ||
本城への虎口部…右に「本城跡」の標示。左側は石積みの跡が残る | 本城の主郭の広場… | 主郭の南東側の削平地(腰曲輪?)を見下ろす… | |
別のアングルからの主郭広場… | 「枡形城へ至る」の標示と空堀… | 真田の集落側を見下ろす… | |
本城の主郭の端から、桝形城への通路を見下ろす… | 本城の下に削平地…腰曲輪か | ||
左の写真の少し左側の主郭部分… | |||
本城主郭の端から空堀(右の写真)を見下ろす… | 空堀跡…幅は結構あるがかなり緩やか | ||
上の写真の位置からもう少し左によって崖下を見下ろす… | |||
右上の空堀跡を過ぎて、桝形城方向へ尾根道を歩く… | 矢竹の群生しているところ… | ||
矢竹の説明…上の写真の部分は砥石城内に植えられていたものの名残では?等の説明がある | |||
桝形城に到着…入り口が折れ曲がっていることから「桝形城」となったのでは?との説明(下の写真) | 左の写真の枡形城主郭から、堀切越しに突端の物見台的な場所を臨む… | ||
桝形城の説明… | |||
主郭側を振り返り見る… | 上の写真の物見台的なところにあった桝形城跡景観図…松尾城とか真田氏本城が見えるか? | 金剛寺峠・象山街道の案内標示…村上義清が砥石城に入った道 | |
上の景観図の位置からの眺望…真田氏本城跡を探したがよくわからず | 本城の方向へ戻る… | ||
再び、本城下の分岐地点に…陽泰寺方向へ降りる | |||
水の手に至るとの案内標示に従って下山…右の写真のように高度がどんどん下がり、集落が近づいて来るのがわかる | |||
この右側に谷状になっている底に水源があるのか?…確認はできなかった | |||
右、畑山に至る。左、戸石城に至る、20分…との標示石柱 | 戸石・米山城址大手口との道標…ここからも本城手前の分岐に行ける(水の手経由とは違うルート) | ||
麓に降りて、バス停近くの国道144号から戸石城を仰ぎ見る… | |||
伊勢山バス停…お昼の時間帯は1時間に1本程度 | |||
アクセス: 長野新幹線 上田駅から上田バス菅平戦又は真田線(渋沢線)で約20分で「伊勢山」バス停へ。そこから登山口、「砦」まで徒歩約10分。 |
※「砥石・米山城 Part1ー米山城・砥石城編」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください… 「砥石・米山城 Part2ー本城・枡形城編」はこちらから! |