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館山城(たてやまじょう) 千葉県館山市館山 2017.1.10 訪問お知らせ
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~ 築城主:里見義康 築城年:天正18年(1590年) 主な城主:里見氏 廃城年:慶長19年(1614年) 主な遺構:土塁、堀切、模擬天守 別名:里見城 ~
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博物館がある城山公園は「城山」と呼ばれている独立丘陵で、戦国時代末から江戸時代初期に房総里見氏が居城にしていた城跡です。豊臣秀吉に仕えた里見義康が岡本城から館山城へ移転してきたのが天正19(1591)年のこと。徳川幕府によって慶長19(1614)年に、義康の子里見忠義が伯耆国倉吉(鳥取県)へ移されるまでの24年間が、里見氏の本城となっていた時期で、その間に館山から北条にかけての城下町も整備され、現在の館山市の基礎ができました。城域は戦国時代に城山のみだったと思われますが、本城となってからは城山の北から東にかけての平坦地に水堀をめぐらせ、城域を拡大整備させていったと考えられます。(館山市立博物館にて入手の案内パンフ「館山城跡を歩こう」より説明文を拝借しました。)
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JR内房線「館山」駅…観光案内所があり、地図など入手した。 |
「館山」駅の並びに、JRバス関東の案内所」…ここで切符購入 |
館山駅から路線バスで城山公園前に…ここから城跡のある城山公園へ |
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「城山公園前」バス停… |
バス停のところから、館山城模擬天守を仰ぎ見る… |
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城域に入って、館山城の標示柱を見る…後方には模擬天守も |
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左上の写真のところにあった案内板より…現在地のところから博物館(本館)~模擬天守(八犬伝博物館)~日本庭園・茶室~八遺臣の墓の順で回った。 |
博物館などへの道標…博物館(本館)手前のところ。 |
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館山の城山公園(館山城跡)の説明板… |
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館山市立博物館(本館)… |
博物館(本館)より模擬天守のある山頂へ登る… |
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近道である階段を上がる… |
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更に、階段を上がる… |
途中で館山湾を見下ろす… |
模擬天守が見えてきた… |
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つつじ園より模擬天守を臨む…ここ山頂西側の斜面には赤・白・ピンクのつつじ約6千本が植えられている由。 |
つつじ園より館山湾を見おろす… |
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前方には海上自衛隊館山航空基地が見える… |
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城山公園展望案内板… |
展望案内板のところから模擬天守を見る… |
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館山湾の白波が目立つ…強風であった |
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模擬天守(八犬伝博物館)を右に回り込んで撮影…右の写真は右横から見上げて撮ったもの。 |
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館山城跡の標示柱… |
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天守望楼に上がり北方向を見る… |
模擬天守のところにあった「館山城周辺案内」図… |
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上の案内板のところから撮影… |
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西のながめ…館山小学校が眼下に。右上の写真に案内板。 |
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南のながめ… |
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天守望楼より「浅間神社」のある広場を見下ろす… |
天守北側の広場…右手の小さな建物は八犬伝博物館 |
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「館山城址碑」… |
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智一段上の天守のある広場から、右上の写真の浅間神社の横を通り、下の段に降りる。この奥に日本庭園・茶室が(旧千畳敷)辺りか?… |
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浅間神社の由来… |
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本丸の南側の旧堀切と思われる通路… |
八遺臣の墓手前の堀切のすぐ横の梅園か… |
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細い尾根上に小さな郭が連続する… |
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尾根道を南へ降りてゆくと、大きな堀切に遭遇…右2枚の写真も同じところだが若干逆光で分かりにくいか… |
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ここも梅園か? |
八遺臣の墓を尾根道の上から見下ろす… |
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上の写真のところの先に道標が… |
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右の写真の場所から、近道方向の正面入り口の方へ進む途中に石積みが!?…自然の状態か人為的な石積みか不明 |
八遺臣の墓の説明板… |
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近道方向へ進む… |
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慈恩院へ行く… |
慈恩院…寺内に里見義康の墳墓がある由(探したが所在地が分からず)。 |
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慈恩院の説明板…里見義康が慶長8年に開基 |
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交通アクセス:JR内房線 「館山」駅 徒歩20分、或いは路線バス「城山公園前」下車すぐ
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