よしおば30
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高松城 香川県高松市
玉藻町
2022.9.27 訪問
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築城者
生駒親正
築城年
1590年(天正18年)
主な城主
生駒氏、松平氏
廃城年
1869年(明治2年)
遺構
櫓、門、渡櫓、石垣、堀 〜
国指定史跡 重要文化財(北の丸月見櫓、水手御門、渡櫓)
高松城は、天正15年(1587年)に、豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が、天正16年から香東郡野原庄とよばれていた現在地を高松と改め築城に着手した平城(水城)です。縄張り(設計)は、当時築城の名手であった黒田孝高(如水)とも細川忠興ともいわれています。瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、日本三大水城の一つといわれています。城には、本丸を中心とした時計回りの方向に二の丸、三の丸、桜の馬場、西の丸が配され、三重の堀とともに堅固な構えとなっていました。
生駒氏の治世は4代54年間続きましたが、寛永17年(1640年)に生駒騒動といわれる御家騒動により、讃岐一国を召し上げられ、出羽国(秋田県)矢島1万石に移されました。このあと、寛永19年(1642年)に当時じゃ常陸国(茨城県)下館藩主だった松平頼重が東讃岐12万石の領主として入城しました。頼重は徳川家康の孫で徳川光圀(水戸黄門)の兄にあたります。将軍家と近親の関係にあった頼重は中国・四国の監査役を命じられていたといわれています。頼重以降松平氏の治世は11代228年間にわたり、高松は松平氏の城下町として栄えました。
(玉藻公園管理事務所が監修?のパンフレット、「高松市立玉藻公園 史跡高松城跡」より抜粋・引用)