高井城 茨城県取手市下高井 2015.6.2 訪問お知らせ |
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~ 築城主:相馬氏? 築城年:不明(戦国時代後期?) 主な城主:相馬氏? 廃城年:寛永5年(1628) 主な遺構:郭、土塁、空堀 ~ |
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高井城は、小貝川を中心に臨む半島状台地に築かれた、取手市内でもっとも大きい戦国時代後期の城跡である。城跡全体は約200メートル四方の規模で、その内部は、主郭とそれに付属する二つの郭からなる中心部と、その外側に広がる外郭から成り立っている。標高は21メートル、小貝川に沿った低地からの比高は約10メートルである。現在、城跡一帯は大部分が宅地となり、外郭遺構は部分しか残っていないが、城の中心部である主郭とそれの伴う郭は良好な状態で保存されている。主郭は、南北65メートル東西45メートルの正方形に近い形で、四方に土塁がめぐらされている。主郭南辺と西辺の土塁壁上に虎口が、南東端には櫓台が残る。主郭南辺と東辺の土塁は、主郭内でもっとも高く築かれて、その外側に堀が設けられている。主郭西辺には半円形の張り出し部分と虎口、それに虎口外側には枡形状遺構がある。主郭内は東側から西側に傾斜しており、土塁に沿って排水溝と思われる遺構が確認されている。主郭と第2郭、城外への連絡方法は、枡形になっている主郭西側虎口を出て上段の通路状遺構を北に進むと下段の通路状遺構へ下る通路にあたる。この通路を更に北に進むと枡形状遺構を経て第2郭にいたり、この通路を折り返す形で南に進むと、下段の通路状遺構から城の搦手である城跡西側の谷津にいたる構造になっている。第2郭は、土塁を挟んで主郭の北側に位置している。第2郭の西辺には、郭の下方に小規模な堀跡と思われる腰郭状の平坦面が築かれており、第2郭西側の守りを固めている。第3郭は、堀を隔てて主郭の南側に位置している。第3郭は、郭の東部分が消滅しているが、西辺と南辺には土塁の痕跡とその外側に堀の痕跡、南辺の土塁痕跡の東端には櫓台状の遺構がある。また第3郭北西斜面には平坦面が築かれ、井戸跡がある。高井城がいつ頃築かれたかはあきらかではないが、高井の地名は建武3年(1336)11月22日付相馬親胤宛「斯波家長奉書」に大鹿村(現在の白山地区)とともにみえ、この時点で相馬氏の知行地であった。天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原城攻めの際、後北条氏とともに下総系相馬氏が滅亡したため、高井城は廃城となりその役割を終えた。(本丸にあった説明板より) | |||
取手市役所 水とみどりの課・高井城址公園里親グループ緑水会が設置の案内板…城郭跡は前方の森ではなく、西側入り口から入って左側 | 関東鉄道常総線「稲土井」駅 …ここから徒歩20分位 |
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高井城址公園入口…左に案内板を拡大! | |||
案内板のところから左側を見る…桜の名所らしい。左側に小貝川だが少し離れている。 | 城郭跡方向に歩く…湿地帯状になっているが、ここもかつては城郭の水堀だったのか? | ||
公園の西側入り口から城跡へ入る。 | |||
西側入り口を進むと、主郭に入る虎口が左側に見えてくる…そこを入ったところに詳しい説明と主要郭部分の想定復元図縄張図などが記されている(右の写真)… | |||
主郭への虎口…左右の土塁はそこそこ見事に残っている。高さは3-5m? | |||
虎口付近にあった案内板にあった「主郭部分の想定復元図」(左の写真)。右の写真が高井城跡中心部略測図(右の写真)… | |||
主郭への虎口を内側から見る…上記の案内板が奥の方に見える | 虎口を入って正面に広がる主郭…雑草が生い茂るが、特に何にもなさそう。周囲には一応土塁がきれいに残っているようだ… | ||
虎口を入って左側を見る… | |||
左上の写真のところを東方向へ行くと、先の「中心部略図」にある「枡形状遺構」とある場所と思われる場所に来た。明瞭な枡形には見えないものの、そういわれればそうかと見える程度の形状。そこから少し進むと右の写真のベンチがある所(少し低くなっている)へ。ここは、腰郭ですかね(右の2枚の写真)… | |||
通路状の遺構(腰郭)から主郭方向を木々の間から見る‥‥ | 前述の虎口付近の案内板より「高井城跡周辺図」… | ||
本丸に戻らずにもう少し北の方へ歩く… | |||
通路状の遺構を見下ろす…本丸との間にはしっかりした土塁が残る | |||
ここの土塁の高さも数メートルはありますね。この右横が本丸… | |||
通路状の遺構から本丸への道が…第2郭の方へはフェンスがあり入れず本丸に戻る。右端の写真が最初に入った本丸で右側が最初の虎口 | |||
本丸の虎口のところに戻ってきた…今度は前方の竹林方向へ行く…右端の少し高くなっているところが櫓台跡らしい。 | 最初に通ってきた通路(西側入り口から北の方へ)、旧二の丸を本丸から見下ろす…旧堀底のようだ | ||
矢倉台の方(東側)へ行くと、土塁に竹藪… | |||
竹藪の前にあった看板…「高井城址公園は敷地は文化財です。その為、竹林への立入及び地面の掘り起こしは禁止いたします」との注意書きが | 最初の案内板のあったところに戻る…この目の前の森の大半が城址公園で、右の方の一部が城跡として郭・土塁などを見ることができる | ||
振り返ると、遠くに筑波山が… | |||
高井城址公園から稲土井駅への帰途、「高源寺」があり、そこで寄り道…境内の中央には樹齢1600年ともいわれる天然記念物の「地蔵けやき」が。巨木の幹の内部が大きく空洞となっており、そこに地蔵尊が祀ってある… | |||
交通アクセス:関東鉄道常総線 「稲土井」駅から徒歩、約20分 |
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