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周防 高嶺城(こうのみねじょう) 山口県山口市上宇野令字高嶺 2015.5.10 訪問お知らせ


 ~ 築城主大内義長~毛利元就 築城年:弘治2年(1556年) 主な城主:大内義長、市川経好 遺構:石垣、郭、井戸 廃城 寛永15年(1638年) 指定文化財 国指定史跡 大内氏遺跡附凌雲寺跡 ~
 高嶺城は、大内氏最後の当主大内義長が毛利氏の侵攻に備えて弘治2年(1556年)に築いた城です。翌年、義長は形勢が不利となり長門国(下能勢湖方面)に逃れましたが、4月、長府の長福寺(現在の功山寺)で自刃しました。義長が去った後、毛利氏は城の改修をし、市川経好を城番として置きました。永禄12年(1569)に大内輝広が山口に攻め入った際に、毛利勢はこの城の守りを固めて寄せ付けなかったと言われています。元和元年(1615)、徳川幕府から、一国一城令が出されたため、毛利氏は萩指月山城を残し山口高嶺城、長府串崎城、岩国横山城を破却することとしました。寛永15年(1638)高嶺城は廃城となりました。高嶺城跡のある鴻ノ峰は標高338mの丘陵です。城跡は頂上の主郭を中心に、四方に延びる尾根に郭群が広がっています。主郭やその周囲の郭には石垣が巡らされ、礎石や瓦片が発見されています。なお、史跡大内氏遺跡は館跡・築山跡・高嶺城跡・凌雲寺跡の4遺跡で構成されています。(参考資料: Wikipedia)
 山口城跡の藩庁門のあった山口県庁西門から山口大神宮を目指して、鳥居のすぐ左の入り口(真ん中の写真)から、山口大神宮経由高嶺城へ…山口大神宮は永正15年(1518)に大内義興が伊勢から神霊を勧請して創建した古社。
 
 境内にあった案内図…籾置石のところから大きく180度ターンして鴻ノ峰を目指す  山口大神宮の由緒などの説明… 多賀神社…
   
北側右の内宮…左に外宮がある 多賀神社から内宮・外宮に至る途中の石垣…
     
 籾置岩(もみおきいわ)巨岩が置かれていて、稲籾や麦などをこの岩において、農作物の豊作を祈願したことからこの名があるとのこと…
 
 籾置岩のすぐ横に”鴻ノ嶺登山口”の道標が…ここからひたすら歩く歩く!
     
途中にあった檀の上には石の社が…
 
 先ほどの社の壇を上がり鴻ノ嶺へ…  このような階段を登る…延々と続くが比較的歩きやすい
 時折石が不規則に露出した道になっており歩きにくい場所もあった…
     
 音鶴稲荷?の標識…
 
 そこかしこに石垣・岩盤が… 眼下に、山口県庁舎(高いビルが新庁舎)… 
     
 頂上の手前の小さな郭状の場所
 
 主郭跡と思われる…ここに「史跡大内氏遺跡高嶺城跡」の石碑と説明板(右下の写真)、高嶺城跡地形図… 
     
国指定史跡の説明板
 
 主郭(山頂部)より少し低い部分(帯郭?)を見る…  上の案内板にあった地形図…主郭部分から左の砦跡方向へ行く 
     
 主郭からNHKのTV中継所側を見る…木戸神社側のルートで来れば車で来られる!
 
 NHK側から主郭方向を見る…  左側の砦跡方向へ歩く…
     
歩く歩く…比較的歩きやすい
 
 砦跡方向への尾根道の途中にあった休憩所… 比較的楽な道です…
     
 再びNHKの中継所の横に降りて、今度は舗装された道を木戸神社の方へ降りる…  舗装された道路の途中にあった「高嶺城跡案内図」かなり汚れていました… 
     
 車1台が通れる程度の道幅だが、ところ処にすれ違い目的の広めの場所があるので安心…
 
 木戸神社横の高嶺城跡登山口の道標があった…  木戸孝允旧邸址の石碑が見えます… 木戸神社…木戸孝允(桂小五郎)を祀った社 
     
交通アクセス:JR山口線山口駅からバスで県庁前下車…歩いても約30分で登山口へ
※「周防 高嶺城」ーYouTubeにアップしました。こちらからご覧ください。

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