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駿府城  静岡県静岡市葵区  2016.2.22 訪問お知らせ

 〜 築城者 徳川家康 築城年 天正13年(1585年) 主な城主 徳川氏 中村氏 内藤氏(松平氏) 廃城年 明治2年(1869年) 遺構 石垣、堀 再建造物 門、櫓 日本100名城(41番)〜
 今から約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。9代義元の今川氏全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質としては駿府に暮らしました。永禄3年(1560)今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し、永禄11年(1568)武田氏により駿府を追われました。徳川家康は、駿府の武田氏を天正10年(1582)に追放した後、同13年(1585)には駿府城の築城を開始し浜松城から移りました。しかし徳川家康は、天正18年(1590)豊臣秀吉により関東に移封され、豊臣系の中村一氏が駿府城の城主になりました。その後、徳川家康は、関ケ原の戦いに勝利し、慶長8年(1603)に征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開きます。慶長10年(1605)に将軍職を息子秀忠に譲り、同12年(1607)には大御所として三たび駿府に入りました。この時に天正期の城が拡張修築され、駿府城は壮大な新城として生まれ変わりました。城には三重の堀が廻り、堀に囲まれた曲輪を内側から「本丸」、「二の丸」、「三の丸」とする典型的な輪郭式の縄張りとしています。大御所の城にふさわしく、築城に際して「天下普請」として全国の大名が助役を命じられ、各地から優秀な技術者や多量の資材が集められました。また、安倍川の堤の改修や、城下町の整備なども行われ、現在の静岡市街地の原形が造られました。(静岡市教育委員会が現地に設置の案内板、「駿府城」より)
 静岡駅 北口…ここから徒歩約15分で駿府城公園。この駅前の一画に、竹千代君の銅像(真ん中の写真)と徳川家康公(右端の写真)
      
遠くに見える高層の建物は静岡県庁別館、その隣が東館…ほんの一部残る外堀で、橋の先には「折れ」が見える。  この堀は三の丸堀(外堀)で、この橋は城代橋…
   
「城代橋」から東方向を見る…石垣の「折れ」が見える
 
橋を渡ったところにあった「城代橋」の標示柱… 二の丸掘り越しに見る「巽櫓」…写真の左側の「家康公の散歩道」のところは左下の写真のところ 
     
 二の丸掘り横の「家康公の散歩道」…
 
 駿府城二の丸「東御門」…   「弥次喜多銅像」…「家康公の散歩道」のところにあった
     
 巽櫓越しに県庁別館を見る…
 
  北橋の上から右側の堀を見る…  東御門に架かる橋…桝形虎口になっている
       
 橋上から左側を見る…巽櫓と県庁別館が見える
 
 東御門内部…櫓門の上層内部が公開されている。この東御門は、二の丸掘り(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される枡形門。右端の写真は、橋を渡り、高麗門を入り振り返り見たところ。
     
櫓門南門… 寛永12(1635)年に天守閣、御殿、巽櫓などと共に焼失し、同15(1638)年に再建されました、等々の説明… 櫓御門内部から東御門橋・高麗門方向を見る…
     
竹千代手習いの間(復元)家康公が今川義元の人質として12年間駿府で生活していた間の手習いの間。…今川家軍師の臨済宗住職雪斎和尚から学問を学んだとか。臨済寺の許可を得て「手習いの間」を原寸で復元しているとの説明(下の写真参照)。右は、手習いの間の天井に描かれた絵(右の写真)にも注目…
  
 
 本丸堀…下の案内図のように当時の本丸堀はほとんど消滅しており、一部にのみ残っている。平成4年度に行われた発掘調査では、本丸堀と二の丸堀を結ぶ二の丸水路が確認されている。二の丸水路は、幅約4mで、水路の底にも石敷きを施している興味深い特徴を持っている(右下の説明板より) 
     
 二の丸水路復元…本丸堀との接続部分は約2mの段差を設けて本丸堀の水位を保つようになっている
 
左側が本丸堀方向… 当時の本丸堀の位置を示している(斜線線部分)…殆ど消滅したが発掘調査で確認されている
  
 北御門跡にやって来た…
 
北御門は二の丸へ入る裏手(搦手)側の門で、桝形風の空間を通り二の丸内部に至る(下の説明板より)  北御門に通じる北門橋上から左側の堀を見る… 
     
 馬場先御門〜御天守台下御門の説明も…下の写真参照
 
 北御門から、北側の土塁上に上がり西方向へ歩く(堀を見下ろす…右の写真) 本丸広場全体を見る…
     
 駿府城縄張図…明治7年陸軍測量図が出典か?  駿府城天守閣跡の説明板…
     
坤(ひつじさる)櫓…16:00までの入場が必要で間に合わず
 
 坤櫓の説明板…  二の丸御門の桝形と中仕切りが発掘により確認されその位置を石積みで示しているとのこと。右の説明板写真参照…
     
二の丸御門跡のところにあった刻印がはっきり見える石… 二の丸橋上から、東側の堀を見る…この辺の石垣は、少し膨らんでいるように見える。そのうち補修が必要?
  
 二の丸堀石垣災害復旧工事完了のお知らせ…
 
 大手御門の枡形虎口…右の写真の上から入り、その下に続き、そしてこの拡大写真に続く。さすが駿府城の正面の門であり立派な門である 
     
 駿府城城内図
 
 県庁舎…本館  大手御門跡の説明板…  大手御門跡の枡形に残る土塁…
       
アクセス:JR東海東海道本線・東海道新幹線 静岡駅から徒歩10分
                
※ You Tubeに「駿府城ー静岡県静岡市」を投稿しています。You Tubeのページにジャンプしてご覧下さい! 

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