反町城(館) 群馬県太田市新田反町町 訪問日 2016.1.5お知らせ |
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~ 築城者 新田義貞(?) 築城年 14世紀初頭(鎌倉時代~南北朝時代)? 主な城主 (伝承)新田義貞、大舘氏明、新田義興、矢内時英 廃城年 1590年 遺構 土塁、水堀 現状 照明寺 国指定史跡 ~ | ||
反町館跡は江田館跡と共に太田市を代表する館跡で、大規模な堀や、土塁が残されています。土塁は基底部で10~13m、高さ4~6mあり、堀は幅10~20mあります。(ただし、東側の堀は道路改修の際に拡張されたものです。)館跡の平面形は凸字形で、南側で約120m、北側で約73mあり、東西両側に「折れ」を持っています。出入口は南東角と西の二箇所にありました。築造は、鎌倉時代から南北朝時代と推定されます。その後戦国時代になって三重の堀を巡す城郭に拡張されたと考えられます。新田義貞がここに移り住み、その後大舘氏明、新田義興、矢内時英が住んだという伝承もあります。天正18年(1590)豊臣秀吉の北条攻めで廃城したと伝えられます。現在の照明寺は、以前は、堀の西側にありましたが、正徳4年(1714)火事にあった際にここへ移転したと伝えられています。照名寺の本尊は厄除け薬師として有名で、毎年1月4日の縁日には大勢の参詣人でにぎわいます。(太田市教育委員会が現地に設置の案内板「国指定史跡 新田荘遺跡 反町館跡」より) |
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東武伊勢崎線「木崎」駅構内…反町館まで 3.1 km の標示が見える。反対側に見えるのはサッポロビール群馬工場 | 反町館跡にあった案内図「太平記の里」…江田館跡までは左(西)に約2.5km | |
最寄り駅の「木崎」駅南口側…反町館は北側 | ||
駅構内・線路を通り反対側、反町館方向へ… | サッポロビール群馬工場を右手に見て北の方向へ歩く… | 貴先神社の横を通り反町館方向へ… |
照明寺が館跡だが、県道332号(桐生新田木崎線)沿いに、反町薬師(伝 新田義貞公居館跡)の看板が見えてくる。そのすぐ左に。右下の写真の大きな堀が見える。左(西)に行くと、立派な土塁か右に見えてくる… | ||
左の写真の土塁の道路を挟んで左側の水堀のようなところ…当時はこの堂悪露も堀だったと推測 | ||
右上の写真の場所から県道方向を振り返り見る… | 照明寺の境内に入ってすぐ左に、「反町館跡」の標示柱、説明板と案内図(太平記の里)が見えてくる…説明板によれば、築造時期も築城者も不詳。しかし新田義貞の居館であったのは事実らしい(一応 伝 とはなっているが) | |
大右の写真の標示柱・説明板の後ろに見える土塁… | ||
境内を出て西側に出ると、ここには見事な水堀が残る… | 境内は工事中?(初詣用のテントを解体しているようにも見える。…下の写真)屋台も出て賑わっていた | |
上の写真の西側の堀から北側に移動すると、西側の堀の「折」があって(左の写真)、そこから北側に出る…右下の写真は北西の角 | ||
「折」部分を西側から見る… | ||
ぐるりと堀に沿って回る…右之写真は最初の堀のところ。説明板によれば、道路改修の際に拡張されたとか。 | ||
県道に沿った堀…左の写真に続く | ||
境内南側の出口のすぐ横にあった石碑「新田義貞公古城跡」の表示… | 土塁上に上がって見た…説明によれば基底部で 10~13m、高さ 4^6mとある | |
最初に見た土塁への上り口… | ||
アクセス:東武伊勢崎線「木崎」駅から徒歩約30分…… | ※ You Tubeに「反町城(館)ー群馬県太田市」を投稿しています。You Tube のページへこちらからジャンプしてご覧ください…! | |