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賤機山(しずはたやま)城 静岡市葵区 2016.2.22 訪問お知らせ
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~ 築城者 今川範政? 築城年 14世紀 主な城主 今川氏、武田氏 廃城年 1582年(徳川家康の駿府入りにより) 遺構 曲輪、土塁、堀切 現状 山林 ~ |
賤機山城は、南北朝の動乱期(14世紀)に、北朝方の今川氏が、安倍川西岸の安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏に備えて築き、南北朝期以後は今川館の詰城としての役割を果たしていたと考えられている。永禄11年(1568)には武田信玄の駿府侵攻によってその支配に降り、さらに天正10年(1582)の徳川家康の駿府入りにより廃城となった。城は南北に続く賤機山の主尾根上及びそこから派生する支尾根上に築かれており、その範囲は東西約400M、南北約600M以上にわたる。要所には尾根を横切るかたちで大小の堀切が設けられ、敵の容易な侵入を防いでいる。城の中心部は今川氏歴代の菩提寺である臨済寺をほぼ真下に見下ろす尾根上にあり、三つの主要曲輪から構成されている。この曲輪部分は城の中でも最も標高が高い尾根上にあり(最高約173M)、静岡平野を一望に見渡せる好所にある。(平成元年3月に静岡市教育委員会が本丸に設置の説明板より)…以下の写真の説明に際しては、この説明板及び「静岡の山城ベスト50を参考にしました。 |
浅間神社の境内の左手の階段を登り、先ずは「賤機山古墳」方向へ… |
静岡駅前にあった案内図です。静岡駅~駿府城公園~浅間神社、そして賤機山の位置をご覧ください… |
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賤機山古墳への登り口… |
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浅間神社から賤機山登山道路脇にあった「猪出没注意」の標示版…散歩中だった地元の人に聞いたところ、「確かにいる、去年子供もできていた…しかし危険を感じたことはない」とのことでした |
尾根上を歩くので、左右に眺望が開けるところが出てくる… |
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ハイキングコースに沿って、鯨ヶ池方向へ歩く… |
駿河湾方面を見る…右の写真の右端に静岡駅付近が |
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右の写真の、「現在地」のところに来た…賤機山城跡までは、あと30分ほど歩く… |
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ハイキングコースなので、比較的歩きやすい… |
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上の地図の、山頂部分より駿河湾側を見る…右のほうに静岡駅前の高層ビル群が見える。その少し前には駿府城公園が見えますね |
賤機山城跡方向へ山道を歩く… |
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本丸南側の大堀切…の手前の堀切…右の写真でその規模がわかる。土橋の残存もよくわかりますね… |
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土橋上から堀切の右側(北に向かって)を見る… |
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同じく、土橋上から左手を見る |
一部では木の根っこが露出して歩きにくいが、概して、よく整備されている…もうすぐ本丸広場だ |
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大堀切を過ぎて、暫く歩くと、削平地が見えてくる…ここが本丸手前の曲輪か?(静岡の山城ベスト50にあった縄張り図を参考にした) |
階尚少し歩くと、本丸らしい場所が前方に見えて来た… |
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「賤機山城塞碑」が建つ、本丸広場…ここが周囲に土塁が残り、北側には桝形虎口状の地形が残る(右の写真) |
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本丸中央には一段と高い場所が見られ、南西を見据える櫓台と思われる… |
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本丸から西方の眺望… |
本丸広場を俯瞰する…右側に櫓台跡と思われる高台 |
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ここが入ってきた虎口と土類の残り… |
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櫓台跡を振り返り見る… |
本丸の一部であろう(遠くに櫓台跡)… |
本丸から北方向へ進む… |
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北尾根にある曲輪に続く大堀切を見下ろす… |
本丸から、再び尾根道を北方向へ歩く…下の写真に続き、左側の写真の大堀切に続く |
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すぐ上の写真の堀切・土橋に降りる… |
確認できないが、大堀切を過ぎてすぐ北側の曲輪の筈なので、恐らくこの辺がそうではないか… |
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臨済寺を見下ろす…臨済寺は、今川氏人質時代の家康(松平竹千代)が教育を受けたところとしても知られており、駿府が直轄地となった江戸期を通じて手厚い庇護を受けた。 |
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アクセス:JR静岡駅から徒歩約20分で駿府城公園へ。そこから浅間神社の100段の石段を登ると賤機山古墳。ここからハイキングコースを辿り徒歩約40分で本丸へ。
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※「賤機山城(しずはたやまじょう)・今川館の詰めの城として築かれたー静岡市葵区」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください… |