白河関跡 福島県白河市旗宿 2017.6.11 訪問知らせ |
||
~ 関が置かれた年代:不明(7~8世紀には存在していた模様)主な遺構:土塁・空堀(中世には館跡として使用されていた。) 国指定史跡 ~ | ||
|
||
東北新幹線「新白河」駅…ここから福島バスで約40分(バスの便数は非常に少ない) | 昭和34年~38年及び平成7年~10年に発掘調査が行われた最初の調査結果を受けて、この地が古代関跡の条件にかなうことが明らかにされ、昭和41年に「白河関跡」として、国の史跡に指定された等の説明が… | |
白河の関バス停。この道路の反対側が「白河の関」… | ||
「白河の関」入口の石碑…奥に鳥居が見える。この先の石段を上がって、白河神社及び館跡周りの土塁・空堀方向へ | ||
「幌掛けの楓」…源義家が前九年の役の際、この席を通過するときにこの楓に幌をかけて休息したとか | ||
「幌掛けの楓」から右奥方向を見る…土塁状の盛り上がりが見えるが? | 「古関蹟の碑」…白河藩主松平定信の考証により、この地が白河関跡であると断定された。寛政12年(1800)には考証の経緯を記した「古関跡」の碑が建てられた… | |
神社の参道・階段を見上げる… | ||
「矢立の松」の説明版…現在はその松は根株を一部残すのみとか | 白河神社の本殿が見えてきた…由緒は右の写真参照 | |
白河神社の西側の空堀…ここから南方へぐるりと旧館跡の周りを空堀が巡る | 「白河関」に題材をとる平安時代の著名な和歌三首を歌碑としたもの… | |
神社本殿の横から背後に回る…この先ぐるりと土塁・堀が囲む居館跡が | ||
神社境内の裏手で。大きな空堀が見えてくる…右の写真から左の写真に続く。左の写真では、奥に赤い屋根の神社本殿が見える。この場所で横矢を掛けている | ||
上の写真の続きの部分…中城の西側部分であろう | ||
右の写真の、土塁上から右に空堀を見て、次に北方向へ曲がり左下の写真部分に来て、振り返る… | ||
左の写真の堀から、まっすぐ上に行き次の角に到着…この辺の堀は風化・劣化していて浅くなっている | ||
ぐるりと回って、最初に上がってきた西側の階段から上がったところに来た(左側の写真…この辺まで空堀が続いている)この辺りに、案内図があった(右の写真は別の場所で撮影したもの) | ||
ぐるりと回って東側に続く空堀のところへ出た…最初に見た本殿の屋根が見える | ||
右上の写真の土塁の端(西)にこの標示板があった…居館跡等の説明版は見当たらず | 左上・下の写真のところの土塁上を暫し東方向へ歩く… | |
上の写真の土塁から左(北)側を見る…空堀を見下ろす | ||
右の写真の「空堀跡」の表示がある部分を少し離れて撮影… | 東虎口の南側端…左側には左上の写真の土橋から神社方向へ入る場所になる | |
「旗立ての桜」…源義経が平家追討のために平泉を出発し、この神社に戦勝祈願するために旗揃えをした際に、この桜に源氏の旗を立てたとか | ||
新奥の細道ガイドマップ…右下のほうに白河の関。真ん中辺に「南湖公園」がある(別掲写真参照) | 従二位の杉…従二位藤原家隆が手植えして奉納したと伝えられる推定樹齢800年の杉の老木 | |
白河の関のある森を道路の花タイ側より見る… | ||
南湖は松平定信の「士民共楽」の理念のもと1801年に築造された日本最古といわれる「公園」…雄大な那須連峰、関山を眺望に取りこみ、松・桜・楓などが四季折々の美しさを織りなします。(観光案内書で入手のパンフ「白河関跡」より) | ||
白河駅の地下通路にあった案内板より… | ||
アクセス: 新白河駅より福島交通バス「白河関」行き約40分…便数は極めて少ないので要注意! |
※ You Tubeに「白河の関 奥州三古関の一つ」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください! |