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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

下野 村上城 栃木県芳賀郡市貝町市塙  2017.1.25 訪問お知らせ

 〜 築城主:村上新助良藤(益子正宗の二男) 築城年:永和4年(1378) 主な城主:村上氏 廃城年:15世紀半ば 主な遺構:郭、土塁、空堀 栃木県指定史跡 〜
観音山(172.2m)に築かれた山城で、東西約200m、南北約250mの規模である。本丸は山頂にあって、東西約40m、南北約85mで不整な三角形状をしている。築城について古文書によれば文治3年(1187)、平宗清の守る村上城が落ちたとあることから、築城の時期は平安時代末頃と思われる。その後、永和4年(1378)、益子氏の一族村上新助良藤によって現在の遺構のような城が築かれ、村上氏は三代、50年にわたって居住したと伝えられている。(市貝町教育委員会が現地に設置の案内板「村上城跡」より)
 市塙駅前にあった案内MAPより…円で示したところが村上城跡・観音山(観音山梅の里への道標が途中にあり、ほとんど道に迷うことなく村上城跡に行ける  真岡鉄道市塙駅…無人でSUICA等も使えない。
     
 市塙駅から北の方向へ暫く歩くと遠くに観音山・「村上城跡」の看板が見えてくる…
 
 観音山の麓の駐車場にあった「いちかい町散策マップ」より…  「観音山梅の里梅園」の中を通り、観音山の山頂・村上城跡を目指す…
    
 梅園の中をひたすら進む…桜の木もちらほらあり2月〜3月には多くの訪問者がいるのだろう(あずま屋やベンチもある)
 梅園の中を横切って、永徳寺に着いた。ここに「史跡 村上城跡」の石碑があった。この階段上から郭が続く。下の縄張り図の@のところ。ここから右方向へ行き、内側の空堀を少し入ってから、観音堂のある広場に上がった… 左の写真の階段の右にあった、栃木県・市貝町教育委員会が設置の案内板「栃木県指定史跡 村上城跡」…
        
 下の地図のAの場所…ここから空堀に入る(内側と外側の堀)
 
 Aの場所から空堀に入って左側(内側)の堀を少し歩く… Bの位置にあった案内板より「縄張り図」を拝借、通ったルートを朱色でしめした。また、位置を示すべく丸数字を各所に入れた…  
     
 見事な空堀…土塁の高さは3-4m位
 
  上の写真の先に観音堂の横に来て、そこから観音堂のある広場に上がった… 最初に見た階段(@のところ)を見下ろす…  千手観音堂…市貝町指定有形文化財
     
「市貝町指定文化財 千手観音堂」の石碑が観音堂の前に…  永徳寺本堂(右の写真は正面)…左の写真の鳥居のあるところが大手口
     
 大手口…本丸の東側に三重の堀の一番内側の空堀。この堀底を歩いて本丸方向へ進む   永徳寺境内より眼下の梅園を見下ろす…「村上城跡」の看板の裏側が見える
     
 改めて、永徳寺境内から観音堂方向を見る…
 
上の写真の大手口から空堀の底道を歩く。本丸の東側の堀部分に通じる…
本丸の下の郭(二の郭、或は帯郭?)に入り本丸方向へ進む…
本丸の東側の土塁上を歩く…右側が一番内側の空堀 左上の郭部分の五社権現の横を上がり本丸へ進む…
 
本丸へ上がって全体を見渡す…一部雪が残っていた
 
上の土塁上から東側の空堀を見下ろす…この辺は比較的整備されている 土塁上を北側に進み北側の堀底を見下ろす…雑草が生い茂っている  再び本丸上に上がり、北端の社を見る。下の写真の城山権現…
     
 本丸北端の空堀(最内側)を見下ろす…冬でも雑草が茂って歩きにくい  城山権現…縄張図のDの場所。この北方向に櫓台跡があるとの情報もあったが確認できず。一応土塁の北東の角が少し削平されているようで、狭いが簡単な物見櫓でもあったのか? 
     
 土塁上の木に架けてあった…
 
 縄張図のEの位置…虎口か?この先の空堀(最内側)へ降りる通路となっている 
     
 本丸広場にも多くの梅の木が…
 
 空堀をどんどん進むと最初の、永徳寺の大手口からの空堀に至る…  左の写真のところを進み右側を見ると、下の広場が見えてきた。左側に永徳寺の本堂の屋根が見える… 
     
下の広場に出ずに、東の方向へ進み最初に上がってきた大手口からの堀底道へ進む…
 
 横矢掛りの場所に遭遇…右の写真の部分から下の写真に続き、その後右下の写真に。再び永徳寺の屋根が見える  
     
 東方向へ続く…
 
 この先に永徳寺の屋根が見える… 更に東方向に進むと最初に大手口から上がってきた通路(階段)のところに来た この大手口からの通路を北方向へ堀底を歩く… 
     
 本丸東の空堀(最内側の堀)へ続く。最初は比較的歩きやすい。それなりに整備されているのだろう…この下の写真から右の写真に続く。左側の土塁の端に電器の配電盤のようなものが見えるが、これは縄張図のFの位置。土塁上を歩いた際の写真に同じ配電盤が見える。 
     
 この辺から足元が…少しづつ歩きにくくなってくる。
 
 最内側の堀から右(東)に進み、幅の狭い空堀(右上の写真 奥に永徳寺の屋根が見える)を経て、少し広くなっている削平地のようなところ(右下の写真)を過ぎて、この下の写真の場所に出た。ここが恐らく内側から2番目の堀か? 
     
まとまった削平地…帯郭か?
 
 内側から2番目の堀底を北方向へ歩く…雑草が生い茂っていたり、一部雪が残っていた場所もあった。   更に東に行くと、大きな空堀(一番外側の堀)に遭遇…幅は相当ある
     
 再び堀底道を北方向へ進む(縄張り図のHの場所)…右の写真に続くがこの辺はそこそこ整備されていて歩きやすい… 
     
 この辺から足元が悪くなる…
 
 左端のところから右端部分へ進んだが、一番右のところで藪状態となり歩きにくくなってきた。
     
 アクセス:真岡鉄道「市塙」駅下車徒歩約40分
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