下野・箕輪城 栃木県下野市箕輪 2019.12.12 訪問お知らせ |
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~ 築城者 壬生氏 築城年 寛正3年(1463) 主な城主 壬生氏、小山氏 廃城年 永禄元年(1558年) 遺構 郭、空堀、土塁 ~ | |||
城跡は、南北72m・東西90mの回字形の地形です。西南端には同じく土塁の跡を残しており山地築城と思われます。築城前の時代は、宇都宮・多功・小山に武将がおり、当時、国分寺一帯は、小山高朝公の所有地であり、寛正3年(1462年)10月初めに箕輪城を築いたといわれております。正式な記録はないが、箕輪城の落城は、永禄元年(1558年)5月初めのころです。よって、この地域では、5月の節句には鯉のぼりを上げない習慣があります。 (環境庁・栃木県が現地に設置の案内板「箕輪城跡」より) |
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JR宇都宮線「自治医大」駅から徒歩なら約30分とのことだったが、効率を考えてタクシーを利用した…。 | タクシーの助手席から撮影…前方に見える小高い山が箕輪城。この橋が箕輪橋でありこの橋を渡ってすぐの位置にある。 | ||
見過ごしがちだが、そこかしこに道標があった… | |||
先ほどの箕輪橋を渡って、すぐこの標識が見えてくるので、ここを左折、「まほろばの里」方向へ… | 左の通路に入り、すぐ左側に城跡が見える…虎口的な場所が見える。 | その虎口の入り口から通路側を見下ろす… | |
虎口的な場所を上がる…この両側が土塁状になっている。空濠の表示が…かなり緩くなっているが結構幅の広い濠だったようだ。鳥観図の4と3の間の場所か。 | 虎口の右側の土塁上に上がる… | ||
上の土塁上から、すぐ下の通路を見る… | |||
土塁上から郭内部を見る… | 主郭の南側の土塁の上から、右が主郭・左側が結構大きい空堀が見える… | ||
南側の大空堀を見る… | |||
改めて、左側(南側)の空堀を見る…落ちほど堀底にも行く | 空堀の突き当り(南端)右側に入ると、下の写真の磐裂根裂神社が… | ||
磐裂根裂神社の改修記念石碑… | |||
磐裂根裂神社の西側に虚空蔵神社が見える… | 磐裂根裂神社の鳥居と社殿…この鳥居の下には階段が続いているが、その会談は後世のものらしい(地元の研究者から聞いた)。 | ||
虚空蔵神社の由だが、その標示名はどこにも見当たらなかった…地元の人から聞いた。 | |||
再び、大空堀を見て、そして最初に入ってきた城跡横を通る通路に戻ってきた(右側の写真参照) | 城跡のすぐ隣の家(当時は郭だったか)の横を通り、外側の広い道(下の写真)に出る… | ||
最初にタクシーで入ってきた道路…地元研究者によれば当時の空堀跡だろうとのことだった | |||
右の写真の場所から少し南側に行くと、郭のようだ…端の方には土塁の残存のような部分も見られる。 | 再び、磐裂根裂神社から更に南方の郭跡方向に進む… | ||
かなり劣化しているが、空堀跡のように見える…しかも、横矢がかかっているように伺える。 | |||
主郭の東端部分に来た…井戸跡のような場所。何ら説明板等がないが、ここだろう | ここの部分も、空堀跡のようだ(ちょうど横矢がかかっている部分)… | ||
この郭全体を見渡す…奥に見えるは残存土塁か。 | |||
この郭の西側の郭状の部分…南端に空堀の残存がある(下の写真) | 左下の写真のところから、姿川方向を見る… | ||
排水溝のような、空堀跡と思われる部分が見える… | |||
空堀と思われる部分を低いアングルから撮影してみた… | 取り敢えず、上の道路部分に上がることにした。数メートル上がって前方を見ると「まほろばの里」(特養)があった… | ||
道路上に上がって、姿川方向を見る…公園になっているようだ(右下の写真参照) | 上の道路に上がると「箕輪城跡0.2km」との標示柱が…上位機を離れて200mほど来たようだ | ||
「蔓巻公園」の案内図… | |||
アクセス:JR宇都宮線「自治医大」駅から徒歩約60分…タクシーを利用した。 | ※「下野・箕輪城」ー栃木県下野市ーをYouTubeにアップしました。こちらからご覧ください。 |