よしおば30

Welcome to New Yoshioba30's Homepage

全国城めぐりネット

 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
下野・川崎城 栃木県矢板市川崎反町・館の川 2018.11.28 訪問
 〜 築城者 不詳(塩谷朝業氏?) 築城年 12世紀末〜13世紀初め? 主な城主 塩谷(しおのや)氏 遺構 土塁、堀切、郭 廃城 1595年 矢板市指定史跡 〜
川崎城跡は、市民の人々に「城山」と呼ばれ親しまれていますが、古くは「塩谷城(しおのやじょう)」などと呼ばれていました。この城跡は、平安時代末から戦国時代にかけて塩谷地方の北西部を支配した「塩谷氏」の本拠地です。「城山」と呼ばれるように城は、丘陵全体を使って造られた「山城」です。城跡の範囲は、北は城の湯温泉センターの西まで、南は北窪不動尊の「堀江山と呼ばれている所までの、南北約1500mにおよび、東西は宮川と弁天川の間の約340mです。城の主郭部は、城跡の中央やや南に位置し、東西44m、南北160m程の三日月形を示しています。主郭部と東の宮川との標高差は、約47mで急斜面となっています。この城跡の築城者は、塩谷朝業(ともなり)と考えられています。朝業は、宇都宮業綱の二男で鎌倉幕府の御家人として力を発揮し、将軍実朝と和歌を通して親しくなりました。中世文学史に残る歌集「信生法師集」を残しています。また、朝業の二男時朝が笠間城主となっていることから笠間市と姉妹都市になりました。城跡には多くの梅が植えられていますが、朝業と将軍実朝が和歌を詠んだ句に梅を詠んでいることにちなんでいます。
                        (川崎城跡南側の駐車場となりの登り口にあった案内板「川崎城跡」より)
 JR宇都宮線「矢板」駅から、コミュニティバスもあるが、便数が極端に少ないのでタクシーを使った、(約1,100円、10分ぐらい)。…矢板駅前にあった案内図。近くに「御前原城」が、(シャープ工場街の中にあった)  矢板駅西口、駅前にタクシー会社があり、待機タクシーも…コンビニもあった。
     
 東北自動車道の手前にあった案内標示…この右が城跡公園。
 
南郭の一角にあった案内板より、縄張図を拝借…現在地とある場所から、星宮神社→南郭→一の堀→本丸→東出丸→主殿→二の丸→二の堀→三の丸→3の堀 の順で回った。予想外に複雑な縄張の山城で、結構見応えがあった。
 
川崎神社(明治維新までは星宮神社と称していた)…創建等は不詳。 川崎神社より、西側の東北自動車道を見下ろす…  東日本大震災時に倒壊して再建した際の記念碑…
       
 南郭に入ったところ…ここに「歌碑説明」(下の写真)及び案内板があった。 南郭跡…きれいに整備されている。この上に位置の堀を挟んで本丸が。
   
 作者は、初代川崎城主塩谷朝業と言われている、和歌2種の原文を写し彫刻したものとか…
     南郭の東端部へ行くと、青空のもと紅葉がきれいだった…  南郭より、下にある帯郭のような場所までおりて、sy通委の紅葉を楽しむ…
      
 更に下の方に続く階段が…
 
 蕎麦屋さん「ともなりそば処信生庵」が眼下に見える…こちらからも登城できるようだ 「一の堀」に到着…かなり大規模な堀だ。掘り起こしてできたと思われる土塁が左手(西側)に見える。  
     
 本丸への階段…
 
 本丸に行く途中に堀底に降りて…分かりにくいが「一の堀」の標示柱が見える。  上の写真の、土塁の左側部分を歩く…帯郭状になっている。
     
 西側を見ると、川崎神社が眼下に見える…
 
 主郭に上がる階段が見えてきた…  主郭に到達…宮川方向を臨む、見通しが良いところに出た。
     
階段を上がると、本丸の一角の帯郭状の部分を歩く…
 
 東側(宮川)方向の案内板が…右端部分に「御前原城跡」との標示が。   「主郭部」の説明板が…各種案内標示が充実していますね!
     
 上の写真の案内板のところから宮川・矢板市街方向を見る…
 
 主郭部から、すぐ下の郭、東出丸跡に降りる…階段を降りきると右の写真のところに出る。
     
 東出丸の北端あたりから、宮川を見下ろす…
 
 東出丸から、階段を上がり再び主郭部に来た。山頂部に三日月形で、東西約44m、南北約160m。主郭部の北から南にかけて土塁が現存する。下の3枚の写真でもわかるが、少し劣化して低くなっているところがある。
     
 西側を見て左側部分に当たるところにも土塁跡が…
 
 主郭部の、西側の土塁上に「川崎城跡]碑」が…  主郭部を、西方向に行き土塁上から「一の堀」を見る…主郭周囲はこのようにでっかい堀で守られている。
     
 主郭部の北端に、主殿と呼ばれているところがあって、矢板市教育委員会の調査により掘立柱建物跡が見つかった由…特に説明板もないがこのあたりだと思われる。
 
 二ノ曲輪(二ノ丸)…一の堀の西側から北側にこの曲輪が作られている。二の曲輪の北側には丘陵を南北に切断するように二の堀が作られている。   一の堀跡との標示柱が見える…堀底から撮影したもの。
     
 二ノ曲輪に上がり主郭方向を見る…
 
 二ノ曲輪の北端部分…  三ノ曲輪の方向を示す案内柱(この階段の下になる)…
     
 二の曲輪の、最南部分(上の写真の反対分部)…
 
二ノ曲輪から右端の写真の、急な階段を下りて、三の曲輪にやってきた。  
     
階段を下りて、三ノ郭に来て、右方向を見る…かすかに三の曲輪の標示柱が見える。 
 
 三ノ曲輪の説明板…  三ノ曲輪を東北自動車道寄りに曲がってゆき、その先の三の堀方向へ行く… 
     
この階段から降りて、三の堀に降りた…
 
 三ノ堀跡に降りて、堀底をぐるりと三の曲輪方向へ戻る…   左の写真の部分から、どんどん宮川方向へ堀底を歩く…、
     
 三の曲輪に上がっていく通路が見えてきた…
 
 宮川・矢板市街方向を見る…  二ノ曲輪に上がって来て、再び、見事な紅葉を見る… 
     
 この上が二ノ曲輪(最初に降りて来た階段)…
 
 下山して、大通りを回ると「ともなりそば処、信生庵」があった。この裏手が南郭方向になる…最初に上から見えていた駐車場と建物部分だ、  こちら側からも南来るを方向へ上がる階段・通路があった…
     
 そば処の建物の横にあった説明板…
 
 東北自動車道を挟んで反対側にある長興寺には塩谷氏歴代の墓碑がある。右の写真は、東北自動車道越しに見た川崎城…  
     
 長興寺の参道に入る…奥に山門が見える。
 
 長興寺山門…  傍にある「歌碑」の説明…  長興寺の開祖である、塩谷氏の菩提寺である等々のの説明が…
     
 右端の写真には、「川崎城主塩谷氏の墓所」との標示柱が。すぐ下の写真は、塩谷氏の墓所全体と思われる…  
     
 一番奥の墓碑を拡大してみると、「塩谷家先祖代々諸精霊位供養」との文字が見える…
 
アクセス:JR宇都宮線「矢板」駅よりタクシーが無難。市営のコミュニティバスもあるが便数が少ない。

 「下野・川崎城 栃木県矢板市」をユーチューブに投稿しました。ここをクリックして、ユーチューブのページにジャンプしてご覧いただければ…!

ギャラリー