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全国城めぐりのページ

 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
下野・御前城 栃木県さくら市氏家  2018.6.13 訪問
 ~ 築城主:不明(氏家公頼の頃築城) 築城年:不詳(鎌倉時代初期) 主な城主:氏家氏 廃城年:慶長2年(1597) 主な遺構:土塁 現状:氏家小学校 ~

本城跡は築城者・築城時期とも明らかではないが、鎌倉時代初期、氏家氏初祖の氏家公頼のころの築城と推定され、「御前城」と呼ばれている。中世初期の城館は、その地域の政治・経済の中心で、農業のために水利のよい、わずかに小高いところに築かれ、土塁と堀をめぐらしただけの平城が普通であった。室町時代、特に南北朝から戦国時代の激動期になると、城は川に臨む崖の上や山頂などに軍事的拠点として築かれるようになり、氏家でも勝山城が鬼怒川の崖を利用して築かれた。しかし、御前城も防御のために突き出しを造って、大手門に侵入する敵に横から矢を射る横矢仕掛けの構えにするなど、戦乱の時代に対応した様子がうかがわれる。廃城は勝山城と同じく慶長2年(1597)である。
 大正12年(1923)氏家小学校の新築移転により、城郭の大部分は破壊された。江戸時代中期の絵図によると、南に高く突出部、その東側に大手門があり、南北百四間(180m)東西80間(144m)の土塁とその外側に水堀があった。現在は北東部にわずかに残る土塁が御前城の唯一の遺構となり、往時をしのぶことは困難であるが、矢板市の御前原城、小川町の神田城などとともに本県の代表的な中世平城であった。(現地に氏家町教育委員会が設置の案内板「御前城跡(史跡)より)

 右の地図で、八坂神社との標示が見えるが、その前を通り氏家小学校を目指した… 案内標示板…氏家駅東口から、徒歩約10分(直線距離で0.5km)。下の案内図に緑色の線を付してルートを示した。
    
 御前城址まで0.6kmの標示柱…
 
 御前城址へに案内標示は、小学校の入口を入ったところにあった… 氏家小学校の東側の校門… 校門を入って、すぐ右にこの案内表示が…以降(土塁)は北東隅に残る。
唯一残る土塁…右の写真に続く。ここに氏家町教育委員会が、昭和61年3月に史跡指定した際の説明板が設置されている。(冒頭の説明に使用した)  
     
 上の写真の右に続く部分…
 
小学校の右側(東側?)の校門…ここから出て、妙福寺のところで右折して、氏家駅に戻る… 
     
 アクセス:JR宇都宮線「氏家」駅から徒歩約10分

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