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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城

下田城 静岡県下田市三丁目  2017.3.1 訪問お知らせ

 ~ 築城主:北条氏直 築城年:天正16年(1588) 主な城主:清水康英、戸田忠次(家康家臣) 廃城年:慶長6年(1601)頃 主な遺構:郭、土塁、空堀 下田市指定文化財 ~
天下統一を進める豊臣秀吉と、小田原を本拠地とする北条氏の対立が表面化してきた天正16年(1588)、陸の防衛拠点である箱根の山中城(三島市)とともに、海の防衛拠点として下田城が取り立てられ、伊豆郡代清水上野介康英を城将に大改革が行われた。城は、海と断崖に囲まれた天然の要害に築かれている。通称天守台跡と呼ばれる高台を中心に、四方にのびた尾根の要所に守備陣地である曲輪や櫓台が設けられ、総延長700mを超える空堀が巡る伊豆半島最大規模の山城である。
天正17年(1589)12月から翌年にかけて、雲見の高橋氏や妻良の村田氏など南伊豆の武士が入城し、小田原からは援将江戸摂津守・検使高橋郷左衛門尉が派遣され、臨戦態勢が整えられていった。天正18年3月、清水湊(江尻)に集結した豊臣方水軍は、長宗我部元親や脇坂泰治らが率いる1万人を超える大船団で、西伊豆を制圧しながら下田城に迫った。圧倒的な兵力を眼前に、城将清水康英ら600余名の籠城軍は、50日ほど防戦に努めたが、4月下旬には開城の勧告を受け入れ、城を出た。(現地下田公園内に設置の案内板「下田市指定文化財 下田城址」より)
 (開国広場にあった)地図の下部のpから、カーター記念碑→開国広場→天守台跡→下田海中水族館にでてそこからバスで下田駅に戻った…  伊豆急下田駅入り口…駅構内には土産物売り場など
     
 同じく開国広場にあった案内板より下田城復原模型…北条水軍の海城のイメージが湧いてきますね?
 
 舗装された道を天守台跡を目指してひたすら登る…  下田城から見る下田市街…下田港が見える
    
 途中の通路で見た桜…河津桜?山桜?
 上の縄張り図の、②の位置…主郭の北端に当たる。眼下に下田市街が見える    左の主郭に上がる階段の手前にあった城址碑、鵜島城址との標示…①の位置
             
  主郭から北東方向へ降りる…
 
 階段を下りる途中のあじさいが植えられているところ。自然の谷を利用した空堀のようにも見える…縄張図の③の位置 下の地図の赤色で表示された部分に、畝が残る空堀群へ…
     
 こにも石垣積み?(自然の岩石の残存?)
 
 右上地図の南北に延びる畝状空堀(障子掘り)…高さも幅もかなり風化により崩れているようだ…図面の④の位置 左の空堀に向かう途中、あじさい群を横に見て階段を降りる…
     
 少し降りてから、主郭下のところに出た。ここで再び最初に通った主郭下の階段の横から空堀方向へ行く(左の写真に続く)…
 
左上の畝掘りのところから、堀切となっている部分(右の写真ー岩盤堀切だ)を上がり少し歩く…  
崖を上り詰めると小さな廓に出た…
再び、ひとつ下の尾根状に戻る…主郭を取り巻く南北の空堀を見下ろす
 
尾根上を西北方向へ進むと、電線が引き込まれた小屋(?)に遭遇…旧軍の施設跡?
 
 下の空堀に降りる…当時は主郭を守るべくぐるりと巡っていたのか?
     
引き続き空堀の底を歩く…
 
 再び先ほどの空堀の横の道を通り、帰途につく…  降りる途中で、山頂への近道となる階段入口を発見(図面の⑤の位置)…右の写真の下田海中水族館の駐車場(図面の⑥の位置)側から入るとここから登ることになる。ここからバス便あり
     
 アクセス:伊豆急下田駅駅下車徒歩約30分
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