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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  清水城(興聖寺城) 栃木県佐野市吉水町 2015.1.10 訪問
 〜 築城者 佐野国綱  築城年 安貞2年(1228) 主な城主 佐野氏 廃城年 慶長19年(1614年) 遺構 土塁、堀 佐野市指定史跡 〜
『栃木県詩』などによれば、安貞2年(1228)、佐野国綱が岩崎義基野ために築いたとある。後、子孫が代々居住したが、永正年間(1504〜1521)、義基12代の孫、左馬之助重長が岩崎城へ移り、大永元年(1521)、佐野秀綱の居城となる。慶長19年(1614)、佐野氏改易と共に廃城となる。寛永12年(1635)、興聖寺が田之入(田之入町)からこの地に移され、現在に至っている。城跡の規模は、東西116m、南北133mのほぼ方形である。四方に土塁と、その外側に堀の遺構が残る。古絵図によると、大規模な城の本丸がこの城跡に当たる。この城域は本丸、北二の丸・南二の丸・三の丸からなり、それぞれ郭が水堀で囲まれていた。さらに、周辺には侍屋敷があって、有力な家臣が配置されていた。古文書『佐野領御舘野林清水御城内』で、この城を「清水御城」「清水の城」と記されていることから、名称を「清水城跡」とした。『栃木県市町村史)昭和30年刊)』以後の「城郭大系(村田修三編』『栃木県城館跡(昭和58年刊県文化事業団編)』等では、城名を「興聖寺城」とも紹介している。(平成18年1月 佐野市教育委員会が興聖寺入口に設置の案内板より)
 興聖寺入口…ここに『史跡 清水城跡」の標示柱と説明板。この両側に、土塁とぐるりと取り巻く堀(往時は水堀だったか)があった。濠、土塁は遺構として確認できる。
  
佐野市教育委員会が昭和49年に設置の案内標示…「佐野市指定史跡 清水城跡」  城跡碑の木柱を見て、先に進むと山門が…
 
入口手前にあった「お堂」…
入口手前右側にあった石碑…
一応、「十王堂 山門 土塀 改修記念」と読める(右の写真)
 
 山門右手の土塁…この石は?
      
   山門を入ったところ…この先に本堂へ続く道がある 山門右手の土塁と空堀… 
山門右の土塁上から山門を見下ろす
 
興聖寺の本堂のようだ…  左の写真のところから右を見る 土塁が…  虎口らしき通路…堀を渡り、東側の道路へ
 
北側の土塁とその横の空堀に入ってみる…少し歩くと竹藪に阻まれる…
 堀底道…ここまでは比較的楽に入れた  尾根(土塁)上から堀を見て…
 枯れた竹が道を遮るように置いてあり、この先には進めず…一旦戻って、外からまわって北側の堀に行く  北側の空堀の名残…
  
 ここから北側の畑に出た…
 
 吉水駅前にあった地図…興聖寺と吉水駅の位置関係がわかる 吉水駅…無人駅だがSUICAは使える 
     
アクセス東武佐野線 吉水駅下車 徒歩約15分
 ※「清水城ー栃木県佐野市。唐沢山城の支城?」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。…工事中…。

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