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清水園 旧新発田藩下屋敷大名庭園 国指定名勝 2013.8.29 訪問
お知らせ
清水園
は、初代新発田藩主溝口秀勝が加賀大聖寺から6万石でこの地に入封したのは慶長3年(1598)であった。万治元年(1658)3代藩主の時、曹洞宗の高徳寺を近郊に移して、この地を御用地となし、下屋敷を造営した。約4,600坪(約15,200㎡)の敷地に御殿が建立されたのは、棟札によれば寛文6年(1666)4月で、その後新発田城の炎上などがあり、やがて4代重雄(しげかつ)のとき、幕府の茶道方であった縣宗知(あがたそうち)を招いて庭園の造営が行われ、その完成を見たのは元禄年間の頃である。このあたり一帯が清水谷とよばれていたので、下屋敷は「清水谷御殿」と称した。
明治戊辰の役に際しては、数千に及ぶ領民が藩主直正の出兵を止まるよう訴願したので、直正はやむなくこの清水谷御殿に駕を留めたため新発田藩は兵火を免れたという歴史的な舞台となった所でもある。(入場時入手のパンフレットより抜粋・編集)
寺町エリアを過ぎて清水園のほうへ…右手の橋を渡り清水園の入口へ
清水園入口
国指定名勝旧新発田藩下屋敷と重要文化財足軽長屋の案内板…文化庁
入城料700円(足軽長屋と共通)
を払い園内へ
大門、下馬の標識が…
書院の玄関を臨む
清水園案内図 大体この矢印の通りに歩き、その後足軽長屋から武家屋敷のほうへ回った…
書院内部
左側が池
書院より池側を臨む
書院内部
書院の反対側から書院方向を見る
右が桐庵(とうあん)、奥に書院
岬灯篭あたりから松原方面を臨む
唐崎の松方面を眺める
松月亭方面へ歩く
同じく松原のあたりか
松月亭
旧清水谷の標識
旧清水谷の説明標識
足軽長屋 重要文化財
足軽長屋平面図
旧新発田藩武家屋敷ー石黒家住宅
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