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 地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城
  佐野城 栃木県佐野市若松町 2015.1.10 訪問
 〜 築城者 佐野信吉  築城年 慶長7年(1602年) 主な城主 佐野氏 廃城年 慶長19年(1614年) 遺構 郭、堀切 佐野市指定史跡 〜
佐野城は、別名’春日岡城’とも言われ、その地名は、延暦元年(782)藤原藤成がこの丘に春日明神を祭ったことに由来すると伝えられています。慶長7年(1602)、唐沢山城主佐野信吉は、当時この地にあった惣宗寺(佐野厄除大師)を移転させるとともに、築城と町割りを開始しました。今日見られる佐野の街は、当時の佐野城を中心とした町づくりがその原形となっています。佐野氏は、慶長12年(1607)唐沢山城を廃してこの地に移りましたが、同19年(1614)所領を没収されて改易となり、築城後間もなく城は廃城となってしまいました。城は、独立丘陵を利用した連郭式の平山城で、南から三の丸・二の丸・本丸・北出丸と直線的に続く郭で築かれています。これら縄張りの主郭部は、全体で東西110m・南北390mの規模を有し、それぞれの間は空堀で区切られ、内堀へと続いていました。現在、内堀から外堀の範囲は市街化が進み、完全に埋め立てられていますが、主郭部は当時の城割の姿を良好に留めており、貴重な歴史文化遺産として後世に伝えるべく史跡・名勝に指定されています。(三の丸に設置の案内板より)
 佐野駅北口からデッキで城丸公園(三の丸)に通じており、そこにあった案内板が左の写真で、そこの縄張り図を右に取り出してみた。図の現在地との標示のところから、二の丸〜本丸〜北出丸のルートで回り、旧内堀に沿って再び佐野駅北口に戻ってきた。公園として非常に整備されている。城跡遺構もいくつか見られ、説明板も設置されている。
   
小山駅の両毛線のホームにあった案内標示。運行本数が少ないので事前に確認しておく方がいいですね。右の写真の電車で佐野駅へ…ワンマン、手動開閉ドア  佐野駅の改札口…左が東武、右側がJR両毛線
佐野駅降りて、通路を通り北口の佐野城跡(三の丸)に直接入る…右が駐車場になっていて、左側に最初の案内板が見える  二の丸…西方の眺望(空っ風で寒かった)
本丸と二の丸の間の空堀…  二の丸と本丸の間の空堀に架かる橋…橋の上から堀底を見たのが左の写真
    
本丸…
 
   本丸の石畳と石垣の説明板…平成4年度の発掘調査で石畳の通路と石垣が発見された。出土した石畳と石垣は、形状を損なう恐れがあるため埋め戻された。現在埋め戻した石垣と通路に沿って、この付近から出土した石を並べている(右と左下の写真)
 
本丸広場を別の角度から撮影…左が、西方の市街地を見下ろしているところで、右の写真はやや北東側からの撮影で、石列が見える
 本丸と北出丸の間の空堀に架かる橋。結構深い…
本丸から、西側通路(旧内堀底)に降りる階段…  空堀は、幅10m、深さ5-6m位…
北出丸の説明板…本丸の北側を守る場所。テラスが建設された場所には、岩盤をくり抜いた柱穴と思われる遺構が発見され、瓦も出土したことから「隅櫓」があったのではと考えられている
 北出丸全景(左2枚)…西側の階段(右の写真辺りか)周辺には搦手があったと考えられている。
 階段を降りて上を見上げる…北出丸と本丸の間の橋が見える  西側の道路…旧内堀か
 「犬走」についての説明…昭和63年度の発掘調査で犬走が確認されており、内堀に沿った丘陵に幅1-2mの帯状の平坦部が造られていた等々の説明が   再び三の丸に戻り、デッキを通り佐野駅に向かった。
アクセスJR両毛線、東武佐野線 佐野駅下車すぐ
 ※「佐野城ー栃木県佐野市。慶長12年佐野氏が唐沢山城を廃してこの地に移った」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください

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