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真田城 神奈川県平塚市真田 2017.1.16 訪問お知らせ
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〜 築城者 真田義忠 築城年 平安時代末期 主な城主 真田氏、岡崎氏 廃城年 不明 遺構 土塁 現状 天徳寺 〜 |
- 〜眞田尊與一神與保存会が天徳寺境内に設置の説明板「眞田城址と天徳寺の由来」より下記引用〜
眞田與一義忠公は、三浦義継の四男岡崎城主、岡崎四郎義実の嫡子であり、その居城が眞田城である。治承四年(1180年)8月23日夜、源頼朝伊豆挙兵の折石橋山にて、俣野五郎の家臣長尾新伍・新六のために討ち死に。25歳であった。一説に義忠公この時、痰が喉につまり討たれたことにより、喘息・痰咳の守(眞田明神)として崇められている。後、天正年間岐阜天徳寺七世義翁盛訓禅師義忠公の菩提を弔うため天徳寺を造立する。
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東海大学前駅から北東方向へ約20分歩いて、平塚市真田地区へ…真田自治会館の角を曲がり北方向へ歩くと正面に真田城跡があるという天徳寺に到着。 |
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天徳寺の本堂か… |
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発掘調査では、天徳寺境内の北部に空堀と土橋・虎口などが発見された由。しかし、現状では北辺に僅かに土塁の痕跡と思われる部分(下の写真)と西側に郭(帯郭?)の名残かと思われる部分(右上の写真)があったが定かではない… |
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佐奈田与一義忠の与一堂… |
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この家紋は確か三浦氏のもの? |
与一堂の場所から西方を見る…富士山が見える。 |
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「眞田城址と天徳寺の由来」説明板…冒頭の説明に引用 |
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天徳寺を出て、今度は鶴巻温泉駅に向かう際に、丁度、帯郭かとした竹林の反対側のところに当たる場所に出た…ここは真ん中の写真の説明板にあるように公園として整備されており、真田城址の遺構の一部かどうかは不明 |
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アクセス:小田急小田原線「東海大学前」或は「鶴巻温泉」駅下車 下車 徒歩約20分
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