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逆井(さかさい)城  茨城県坂東市逆井  2016.2.26 訪問お知らせ

 ~ 築城者 逆井尾張守常宗 築城年 報徳2年(1450)…1577年に北条氏繁が大改修 主な城主 逆井常宗、酒井貫利、酒井常繁、北条氏繁、北条氏舜 廃城年 1590年 遺構 曲輪、土塁、空堀、水堀 茨城県指定史跡 現状 逆井城跡公園 ~
  逆井城が、飯沼に臨む標高20ⅿの台地先端にあり、城の北側は飯沼が洗い、西側は入江の蓮沼に接していました。飯沼は江戸時代の新田開発により湖水はなくなりましたが、およそ幅1km・南北30kmにわたり、その名残りを残しています。今から約410年前の戦国時代にこの飯沼が小田原の後北条氏と佐竹氏・結城氏・多賀谷氏らの領国の境目でした。
 進攻を続ける後北条氏は飯沼に築城をはじめ、天正5年(1577)10月、北条氏繁(玉縄城主)は、藤沢より城の建物をつくるための大鋸引きの職人をよんでいます。城主となった氏繁は、盛んに佐竹・下妻方面の動静を報告していますが、翌天正6年(1578)にこの飯沼城中で没し、その後氏舜が城代となりました。 天正18年(、豊臣秀吉は小田原城に後北条氏を滅し、この飯沼城も廃城となりました。
                               (城跡公園入口にあった案内板の「逆井城の歴史」より)


※ 駐車場・冠木門のところに来ると、何か、独特の雰囲気が漂ってくる…推定復元や他の城などからの移築遺構もうまく馴染んでいる。北条氏の築城術があちこちに見られ、横矢の掛かった空堀がいくつも造られているのは、私のような城攻め初心者にはとても分かりやすく、楽しく見学させてもらった。これだけ見所のある城跡公園でもあり、また、4月には桜まつりもここで行われることもあり、坂東市でも観光資源として力を入れていることがうかがえるので、是非、アクセスの問題を改善してほしい。訪問したい人はたくさんいると思うが、現状の公共交通機関では非常に行きにくい!是非、対策を検討していただきたいと思う。
西側から入城…左が駐車場。遠くに、模擬冠木門が見える  城址公園入口にあった案内図…
        
 冠木門左側にあった「二層櫓」(模擬)…
 
西側から見る西二曲輪の模擬井楼と二層櫓…右端の写真が西二の曲輪・大手付近の入江(舟入)のようだ。旧飯沼への港の跡らしい
 右上端の写真の部分…飯沼へ舟を出す際の荷物の積み降ろし場か。 西から西北側へ堀に沿って歩く…
  
角を回り、ほぼ北側に行く…
 
 北側の水堀越しに「主殿」を見る…  東方向へ歩き、木橋と虎口を見る…立派な土塁が残る(復元) 
     
 更に、北東方向へ歩く…
 
木橋を渡り、先ほどの写真お左側の土塁上に上がり、木橋・水堀を見下ろす…  その土塁上から、左側(南西側)を見る…つまり来た方向を見た
   
 こちらは、右(北東)側…
 
堀に沿って左回りに井楼櫓方向へ…  木橋から北東側へ行き、先ほど渡った木橋を見る… 
     
コーナー部の井楼櫓が見えて来た…
 
 井楼櫓は、井形に組んだ方形材を次々と組み上げた櫓。物見櫓として敵の動静を監視したり、味方の動静を把握するなど、軍事的なもの。高さ11.86m、戦国時代末期のものを復元したもの(現地説明板より)…右端の写真は櫓上から主殿を見たもの。
同じく、井楼櫓から見た「二層櫓」とかつての飯沼(江戸時代に干拓で姿が消えた。右の写真)… 
     
 二層櫓・主殿などがある主曲輪への門、大手門に当たるのか?
 
 東二曲輪…結構広い  改めて、木橋、門、堀越に二層櫓を見る…
     
東二曲輪の周囲の空堀・土塁…
 
 ここの空堀も現状では浅い・低いですね…往時はもっと深かった?!  遠くに木橋が見える…  東二曲輪周囲の土塁(の残存)…
主曲輪と東二曲輪の間の土塁・空堀…  左の土塁の反対側の空堀…遠くに木橋が見える
     
 東二曲輪から主郭への木橋が…
 
 この辺の土塁は、「比高二重土塁」と呼ばれ、内側の土塁が外側の土塁より高くなっている、後北条氏の築城法の特徴の一つ…下の写真の説明より  東北角の井楼櫓…
     
 右の写真の下に降りる階段の横にあった「飯沼」の説明板…右端の写真は、階段を下りて右側を見たもの
     
 主郭との間の空堀…木橋でもあったのか? 右側が主郭…空堀の横矢がかかっている場所
     
 結構広い幅だ…現状は浅いけど
 
 空堀の横矢掛りの場所… 駿河湾方面 
     
 櫓門と橋…発掘調査結果をもとに復元されている。橋の遺構は、礎石・男柱・支柱の柱穴等が見つかっている。櫓門の遺構としては東西に3個づつ2列で方形に結べる柱穴と雨後溝が見つかっているとのこと。   ここも横矢が掛かる…遠くに櫓門と木橋が見える
     
橋を渡ってすぐ左の土塁を見る…
 
 橋を渡り、主郭内の林に… 空堀を跨ぐ通路…土橋跡か? 奥に二層櫓が見えますね!右側の建物はトイレです
     
 雑木林内にあった「城山大権現?」のようだ…
 
 鐘掘池(かなほりいけ)天文5年(1536年)、時の城主逆井常繁北条方に攻められ戦死した際、奥方(娘?)は先祖代々伝わる釣鐘をかぶってこの池に飛び込み自殺したと言われています…右下の説明板より  堀底、土橋付近から右側(西側)を見る…
     
 鐘掘池についての説明板…
 
 鐘掘池の前にあった案内板と、その右に空堀が…  左の案内板にあった城跡配置図…緑色のラインは緑地環境保全地域 
     
 案内板の前の空堀…横矢が掛かっている
 
 移築されたと言われている「関宿城」城門…関宿城は明治6年に大蔵省の所管となり廃城となった。その後建物の一部は民間に払い下げられたが、そのうちの一つがこの城門とのこと…説明板より  この観音堂は市内大安寺にあったものを市が譲り受け移築・復元された…天正16年建立時の棟札と弘化2年再興時の棟札が現存している(説明板より) 
     
 茨城県牛堀町で発掘された大台城遺跡発掘の折出土した主殿遺構を参考に復元された。…逆井城と同時代の遺跡でもあり(説明板より)
 
 二層櫓内部…  櫓の2階から、主殿方向を見る…  北側を見る…左に移築された「関宿城門」が見える
     
 東側の広場と「逆井城公園管理事務所」を見下ろす… 逆井城跡公園までの公共交通の便はないが、近くの猿島郵便局や猿島庁舎までのバスルートがあることが分かった。しかし、右の写真のように、週に3日とか、1日3便程度なので事前によくチェックされることをお勧めします。…私は、偶々、城跡公園でパターゴルフ(?)的な運動をしておられた年配のご夫婦に親切に最寄りのバス停まで送ってもらって大いに助かった。感謝!
 尚、今年は4月2日、3日に城址公園で「桜まつり」があるとのポスターを見かけたが、その時は臨時バスでも出るのだろうか?
     
アクセス:坂東市は陸の孤島的であり公共交通サービスが殆どない。筆者は、東武線で愛宕まで行き、そこから関東鉄道バス、「岩井車庫行」で約30分、岩井局前で降りて(約600円、suica使用可能)、今度はコミュニティーバス、「ばんどう号」で猿島郵便局前、あるいは「猿島庁舎」へ行き、少し歩く(約40~50分位か?)…事前に坂東市役所・商業観光課(岩井局の近くにある)より情報を入手されることをお勧めする。
 ※「逆井城(さかさいじょう)…北条・佐竹・結城氏らの領国の境目の城だった~茨城県坂東市」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください…

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