西明寺城 栃木県芳賀郡益子町 2017.12.6 訪問お知らせ |
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~ 築城主:不詳 築城年:平安時代後期(康平年間 1058~65)? 主な城主:益子氏、宇都宮氏、春日氏 廃城年:天正18年(1590年) 主な遺構:郭、空堀、土塁 別名 高館城 益子町指定史跡 ~ | ||
西明寺城の起源は、西明寺のある高館山に京都から移住してきた紀氏(後の益子氏)が本拠を構えた事から始まった。南北朝時代には、『結城文書』に「伊佐中郡御城、西明寺城、当城候」と記されており、関城、大宝城、伊佐城、伊佐中郡御城などと並んで、関東六城の一つに数えられ南朝方の最北端の拠点であった。その後、北朝方の攻撃を何度か耐えたが、1352年(正平7年)に関東六城の中で最後に落城した。 戦国時代に入ると、益子氏は一族内で内紛が続発し、衰退への道を歩むことになる。また、主家の宇都宮氏から離反と帰順を繰り返すようになった。1590年(天正18年)、業を煮やした主君宇都宮国綱は大規模な討伐を実行し、益子家宗を誅殺して益子氏の領地を没収した。この際に廃城となる。 |
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西明寺を経由して、裏山の城跡に向かう。西明寺は真言宗豊山派に属している。西明寺の境内も郭のひとつと思われ、周囲には腰郭的な場所が見える。 | 西明寺の紹介の案内板…ここで楼門、三重塔などの重文クラスの文化財が紹介されている。 | |
西明寺楼門…1489に着工して10年の歳月をかけて完成したとか。 | ||
西明寺のこうやまき…県天然記念物で1209年に本堂修復記念で植えたと伝えられている由。 | 権現平旧主郭へ向かう… | 登山道…ハイキングコースになっており歩きやすい。 |
権現平まで100mのところに来た… | 権現平・旧主郭に到着…眺望が開けていて展望台が設置されている。 | |
権現平・旧主郭のすぐ下の腰郭が見える… | ||
右の写真のすぐ後ろに見える櫓台跡…少し削平されている。 | 権現平の鉄製の展望台…すぐ後ろが櫓台跡と思われる。 | |
権現平から、県道262号線の方へ…城跡を大きく県道が分断している。 | ||
権現平・郭のすぐ下の腰郭… | 権現平の東側の堀切…左(西)側に降りると県道により、大門口郭群と分断している。 | |
県道262号に出てきた…この舗装道を少し左に行くと、駐車場と本丸方向への郭群入口が。 | ||
右上の写真のところから駐車場・登城道入口に来た。下の写真の案内板があった。現在地のところから、城跡広場方向へ歩く…右下の写真の階段を上がる。 | ||
この左側に、「森林公園案内板」がある。そのすぐ左の上には池(井戸跡)が… | ||
池のそばまで行き、池面を見ると結構水をたたえている… | 池・井戸跡…ここは本丸下にあたり、周囲の郭が池を取り囲んでいる。 | |
駐車場のある広場…この後方から本丸方向を目指す。 | ||
余湖さんのホームページより鳥瞰図を拝借。左下の方の西明寺から「さ」の権現平~郭群の「A」から主郭「あ」方向へ進み、「お」の堀切を見て、再び西明寺に降りてきた… | ||
だいぶ風化しているが、虎口と思われる、「A]と「B]の間の虎口か… | 鳥瞰図の、「け」の駐車場の右脇から、右側の尾根の郭群へ向かう… | |
この上にちょっとした削平地、「A」の郭か?更に少し歩くと左の写真の場所へ… | ||
右の写真の場所の続き… | 左上の写真のところから暫く進むと、再び、虎口のような場所に来た…「B]と「C」の間の虎口か? | |
本丸手前の「こ」の位置か? | ||
「こ」の場所か?ここは、かなり広い削平地である。巨石もあった。 | 「こ」の郭から主郭への入り口にあたる部分か?虎口と言えなくはないかも? | |
主郭の北端に土塁が見える… | ||
土塁の上に三角点が… | 土塁上から西側の通路を見下ろす…の郭と3の郭の間の堀切のひとつ(2本目?)… | |
三角点の横に「高館山」、「301.8m」の標示版が… | ||
右上の写真の場所に降りる… | 下の写真の様に竹藪の中を通り、下の郭に向かう… | |
虎口のようにも見える… | この様な歩きやすい通路ではある。この先の郭へ、更に「お」の大堀切に向かう… | |
「え」の郭を出て降りていくと堀切「お」と思われる場所に出た…自然の谷のようにも見えるが… | ||
麓に降りてきた… | 下に見えるのは「西明寺」の境内… | |
キャンプ場の管理棟と思われる… | ||
アクセス:真岡鉄道「益子」駅から徒歩約60分…車なら約10分。 | ※ You Tubeに「西明寺城 栃木県益子町」をアップしました!こちらをクリックしてYou Tubeのページへジャンプしてください… |