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鬼ヶ城 三重県熊野市木本町字城山 2017.9.2 訪問お知らせ
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〜 築城主:有馬和泉守忠親 築城年:室町時代(1523頃) 主な城主:有馬忠親、堀内氏善 廃城年:関ケ原の戦いの頃(堀内氏は西軍に与した) 主な遺構:郭、堀切、竪堀 ユネスコの世界遺産:「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部となっている 〜 |
- 城は、熊野地方に勢力を張った有馬氏のものといわれる。応永(1394-1427)の頃には、有馬和泉守忠永が尾鷲南部に至るまでを支配したというが、忠永の子である忠親には継嗣がなかった。そこで、忠親は甥に家督を譲り、隠居城として鬼が城を築いたという。その後、有馬氏は新宮の堀内氏善に滅ぼされるが、堀内氏の支配も関ケ原で義父九鬼義隆とともに西軍に与したことにより、終焉を迎える。城域は東西が最大で140m、南北は330mに及び、熊野地方では最大規模である。曲輪の数は20を超えるが後世の開墾と区別がつけ難く明確にはできない。(中略)…鬼が城は尾根全体に郭が展開し、堀切や竪堀などの防禦施設が明瞭で、見所が多い城である。ただし、遊歩道及び整備箇所から外れると途端にやぶ地となるので注意が必要である。(三重の山城ベスト50より抜粋引用させていただいた)
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鬼が城は志摩半島がからのリアス式海岸が七里御浜へと変化する境界の岬に位置する。海岸は断崖絶壁で「鬼が城」となる。この獅子岩は「高さ約25m周囲約210mの岩塊で海岸の断崖の遺物と認められる。獅子が大洋に向かって吠える形をしている。地盤の隆起と海蝕の現象の生み出した奇観としてまれに見るものである。」(現地の案内板より) |
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獅子岩の説明版…獅子岩と七里御浜の悦明と概略図がある |
海岸に面した「獅子岩の説明版」… |
花の窟(はなのいわや)…この花の窟には社殿はなく高さ45mの巨巖そのものがご神体となっている。(現地説明版より) |
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右の地図の、現在地のところから階段を上がり、桜並木の間を通り、「鬼が城城址ハイキングコース」を通り、城址の遺構を探し求めた… |
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この様な緩い階段を上がる… |
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ハイキングコースになっており、歩きやすい…訪問時は土曜日だttがここを訪れる人は僅かであった |
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ハイキングコースから見る崖上の場所は、後世の公園化とともに改変されているようだ(石垣などは)…もともとは腰郭的な縄張だった? |
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崖状の場所には石がごろごろしている…腰郭の残骸のようにも見えるが |
途中熊野灘を見下ろす…海の色が非常にきれいだった |
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上の写真同様の状態だが矢張り石が多い… |
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山頂の、主郭に相当する場所…説明版らしきものを探したが見当たらぬ |
右方向が「鬼が城城跡」と標示されている… |
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山頂に上がり、再び七里御浜のある方向を見る… |
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山頂・主郭より後方(北西方向?)を見る… |
主郭部分の南西方向(?)を見る… |
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鬼の見晴台(展望台)から熊野灘を見る… |
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アクセス:JR紀勢本線熊野市駅から、三重交通バス、大又大久保由紀5分、鬼が城東口下車5分で登城口へ。
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