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大田原城 栃木県大田原市城山  2015.7.23 訪問お知らせ

 ~ 築城者 大田原資清 築城年 天文14年(1545)主な城主 大田原氏 廃城年 明治4年(1871年) 遺構 土塁、堀 指定文化財 大田原市史跡 別名 龍城、龍体城、前室城  ~
天文14年(1545)大田原資清によって築城され、町島水口より移り、以来明治4年(1871)の廃藩置県に至るまでの326年間、大田原氏の居城である。東西210メートル、南北327メートル、面積9.1ヘクタール。本丸、二の丸、三の丸に区画され、この外、北・西両曲輪・馬場・作事場等、築城法にかなった防御を第一とした要塞の地である。明治5年(1872)兵部省に引渡され、取壊された。慶長5年(1600)徳川家康は関ケ原戦の前、奥羽の情勢からこの地を重視して城の補修を命じ、さらに徳川三代将軍家光は寛永4年(1627)常時玄米千石を城中に貯蔵させ奥州への鎮護とした。文政8年(1825)には火災によって焼失したが、同9年新たに造営した。戊申の役には西軍の軍事拠点となったために、東軍に手薄のところを攻められたが、火薬庫の爆発によって落城をまぬかれた。明治19年長野県渡辺国武(大蔵大臣)の所有に帰したが、昭和12年嗣子千冬(司法大臣)が、これを大田原町に寄贈したので、公園として整備し、市民の憩いの場となっている。(大田原市が現地に設置の案内板より)
JR宇都宮線西那須野駅から東野バス黒羽行で約20分「公園前」下車。対面に「龍城公園」(史跡 大田原城跡)の案内板が…  少し歩くと、「大田原龍城公園」と「記念物 大田原城跡」の標示柱が…
   
 縄張図…坂下門のところにあった案内板より。この図の、北側の門から入り、北曲輪を通り蛇尾川に沿って右回りで、二之丸方向へ行き、冠水門~台門~本丸~裏門~坂下門の方向へ出た…  
  
 北曲輪部分に入る…遠くに子供の遊具が見える。  この土塁の向こう側が蛇尾川…3~5メートルの高さ
    
蛇尾川横の土塁に上がる階段…
 
 土塁上を川に沿って歩いて…  左側の蛇尾川を見下ろす… 空堀の残存部分とみられる…右側が本丸
     
 土塁上から左側を見下ろす…蛇尾川の手前は曲輪ではなさそう。当時は川がもっと近くまで来ていたのか。 土塁を降りて、本丸を経由して、南側の二の丸を目指す…
 
空堀の残存部分…
右側が本丸であり、その土塁を見ながら南方、二之丸の方へ… 二の丸の端の部分にある櫓台か物見台か…案内図には特段記載なし
 空堀に架かる橋…当時はどんな橋だったのか?このすぐ左が冠水門~右に台門へ。
  
 上の写真の橋を背に二の丸を見る…二の丸跡の説明板が右端の写真に
 二の丸の南側の残存土塁… 三の丸方向に続く道…降りて行ったが、旧三の丸は宅地化されているようだ しょう煙庫跡の説明の碑…二の丸の東側(蛇尾川側)に位置する
     
 二の丸から三の丸方向へ行く途中…空堀・断崖を見下ろす…  しょう煙庫跡の説明…
 旧三の丸方向を見下ろす…完全に住宅地化されている
 先ほど登場の空堀に架かる橋…この橋の手前に二の丸への虎口にあたる冠水門があった。この橋を渡り本丸の入り口の部分に台門があった。本城唯一の石垣を用いた重層門との説明がある(別掲参照)
  
 上野写真の橋上から、右側の空堀を見る…本丸側の土塁上からは約10数メートルの深さでありかなり深い。 二の丸を再度振り返り見る…
     
橋上から左側の空堀を見る…土橋だったと思われる。通水用か「コンクリート管」が見える 
 
 五右の写真の盛土から南側に続く土塁上を歩く… 台門のところにある矢倉台上の盛土。台門の説明板には、「右手に太平洋戦争中に大田原監視哨が置かれた」との説明があった(…特定できず)
     
 本丸跡の説明板…戊辰戦争時は西軍参謀伊地知正治以下諸将が軍事拠点とした、等々の説明が
 
台門に入ってすぐ右の土塁上へ続く階段…そこを上がると休憩所がある。公園化したことによる改変か。土塁そのものはしっかりしている  台門跡の説明石板…
 台門跡と思われるところを入って右があの土塁を見る… 石垣門だったとの説明があったので痕跡を探した…少し石の露頭的な部分を発見(しかし門の残骸の一部か特定困難)
     
本丸の周囲に残る土塁…
 
 本丸北側部分御「武庫跡」の標示石板…説明によると、「大砲、鉄砲、槍、弓などが保管されていたところ」、また東京鎮台への報告には「和銃20挺、西洋銃48挺」とある由… 南側の裏門方向を見る…
 裏門とその両側の土塁…土塁上に上がる階段が見える 北曲輪側の土塁上に上がる階段…
           
土塁上に井戸跡かとも思える場所があったが不詳…
 
 土塁上を東の方向(蛇尾川)へ歩く…  裏門から坂下門方向へ降りていく…
     
 本丸に降りて全景を見る。結構広い!…野外ステージが見える
 
 坂下門へ、石の階段だらだらと歩いて降りる…   坂下門を入った枡形虎口に面したところに案内板があった…  
案内板の前の道…ここから枡形状になっている虎口を降りていくと三日月堀りへ とちぎふれあい自然歩道の案内図…JR宇都宮線から大田原城跡近辺の案内が
 
千石倉跡…幕府は譜代並みの扱いを受けた外様大名に命じてその居所に幕府の米を詰めさせた。外様大名を睨んだ軍事的重要拠点に配置された(説明板より)。
千石倉跡の説明板…  大手口の横の「三日月堀」…左下の写真も三日月堀   
     
三日月堀彫り…
 
アクセス:JR宇都宮線西那須野駅から東屋バス黒羽行で約20分「公園前」下車すぐ
※「大田原城 栃木県大田原市 ~廃藩置県まで大田原氏の居城だった~」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tubeのページへジャンプしてください!

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