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地域・都道府県別年代別日本百名城国宝・世界遺産現存天守12名城 
 大胡城 群馬県前橋市河原浜町   2016.5.14 訪問
 〜 築城者 大胡氏 築城年 16世紀半ば? 主な城主 大胡氏、益田氏、牧野氏 廃城年 寛延2年(1749) 遺構 郭、土塁、空堀、石垣 現状 城址公園 史跡指定 群馬県指定史跡 〜
  城郭は、南北に走る丘陵上にある平山城で、本丸を中心に二の丸を囲部的に配し、北に北城(越中屋敷)、近戸曲輪、南に三、四の曲輪があり、東は荒砥川が流れ、その間に根小屋、西には西曲輪の平坦部が附加され、南北670メートル、東西最大幅310メートルの規模をもつ。枡形門、水の手門虎口、空濠、土塁等の跡が良く残っている。中世上野の名族である「大胡氏」が拠ったと言われている。
 天正18年(1590)徳川家康の関東入部により牧野氏が大胡領2万石に封ぜられ、康成、忠成二代の居城となった。牧野氏は、元和2年(1616)に越後長峰へ、そして長岡へと転封された。以後、大胡城は前橋藩領となり、酒井氏が姫路へ転封に際し、廃城となった。(前橋市教育委員会が現地に設置の案内板、群馬県指定史跡 大胡城跡」より)
最寄り駅は上毛電鉄「大胡」駅…ここは有人駅で雰囲気のある駅舎です  下の「歴史探訪寺社めぐり」の地図参照…駅から少し歩くと本応寺が見えて来て、更に真直ぐ北上すると、前橋市大胡支所入口に。前方に見えるのは大胡小学校とその右に大胡中学校が(旧大胡城の三の丸のところ)
       
この「大胡歴史探訪寺社めぐり」の案内図で、大胡駅からの道順(朱色で記した)と、大胡駅、大胡城跡の位置関係を見てください。 前橋市大胡支所・大胡公民館入口のところに突き当たる。ここの右側の道を降りて城跡方向へ行く…
     
 二の丸と三の丸の間の堀に相当するところ…
 
 本丸のある場所を左に見て、本丸への入り口に向かう…  本丸と二の丸の間の堀底の下にトンネルが造られており、その手前に「大胡城跡」との石碑が(右の写真)…トンネルをくぐり、本丸・二の丸へ
       
トンネルを越えると、そこは二の丸、そして右側に本丸が…  トンネルを出て、すぐ右の本丸へ上がる階段を上がる…
     
 本丸への階段を上がり、右側の石垣の残存を見る…本丸は二段になっており、東側の若干高い部分へ上がる虎口的なところにあった石垣(左の写真)。その石垣の並びのところ(二段の下の部分)に「大胡城本丸」の標示柱(右の写真)が  
    
 上の写真に続く場所で、右(東側)への入り口だが、ここが当時の虎口であったかどうかは不明…
 
 ここにも石積みの跡が… 本丸広場(東側の一段高い方)… 東側の端に石が積まれている…発掘時に出てきたものをまとめた?
     
 本丸広場の北端に来て、土塁下(当時の水堀跡)を見る…濠の向こう側が「北城」で、左側には幼稚園が見える  本丸広場の北側にあった石碑…判読できぬが城址碑?
     
 本丸広場の北側の土塁上を西方向に歩く…
 
 本丸の下の段の北詰にあった神社、のようだ。由緒などは不明…  上の段の北端から、現在は幼稚園になっている「北城」側を見る。…この堀の深さは凄い!
     
 上の写真のところから南方へ少し行くと「石列」が見えて来た…
 
 本丸と二の丸の間の空堀…奥に北城の幼稚園 本丸の下の段を南方向へ行く…最初に見た城址碑標示柱が奥に。
     
 二の丸(西側)に降りて来て、北方を見る…
 
本丸と二の丸の間の掘… 二の丸の南端の「水の手門」の標示柱。この先は、堀切を挟んで、大胡中学校・テニスコートなどが見える… 
  
 二の丸を、南の方へ行く…
 
 水の手門を右に見て、本丸方向へ来ると、空堀を挟んで本丸の高い土塁が見える。この場所に、案内板がある。  本丸を左に見て、東側を見ると最初に入って来たトンネルの出口が見える…
     
 二の丸の南東側の枡形門方向を見る…
 
 枡形門入口…この辺には多くの石積みが残っている。
   
 枡形門入口…前方が東方向
 
内側から枡形門を見る…  東端から大胡町を見下ろす…大胡支所の建物が見える
  
 二の丸何端から、大胡中学校・テニスコートを見る…
 
 枡形門の石垣…当時のものだろう  再び二の丸広場に出て、右(東)方向を見る…最初のトンネル出口と本丸への階段が見える
     
アクセス:上毛電鉄 「大胡」駅から徒歩20分程度で城跡へ
※ You Tubeに「大胡城ー群馬県前橋市」を投稿しています。ここをクリックして、You Tube のページへジャンプして、ご覧ください…。

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