小倉城 埼玉県比企郡ときがわ町田黒 2014.7.2 訪問お知らせ |
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〜 築城者 遠山氏? 築城年 元亀・天正年間(1570-92) 主な城主 遠山氏 廃城年 1590年 遺構 郭、土塁、堀切、石積み、虎口 指定文化財 国指定史跡 〜 | ||
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尾根続き、西方2.5kmのところに位置する、「青山城」から登山道(登城路)を歩いて来た。比較的緩やかな遊歩道的な道であった。…今回、下山路となった「大福寺」裏手からの登山道の方が一般的かもしれないが、遊歩道もなかなかの雰囲気でした。道標が随時出てきて、曲輪1に至るまで道に迷うことはなかった!…青山城からのルートについては本HP内の「青山城」のページを参照ください! |
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こんな感じの杉林の中の山道… | 少し開けた場所に出た…いくつか石碑がある。「庚申」「仙元大日神」などの記銘があるが、説明などなくよくわからず… | 小倉城跡までの道標が出てきた。 さっきの手作り風とは違う。 |
暫し歩くと… | 小倉城跡 0.9kmとの道標が… | 石の露出が増えてきた。小倉城は関東では珍しい石積み多用の城とか |
周囲は杉林。登山道は豪雨時には恐らく水が流れるのだろう… | 小倉城跡まで300m! | 暫く歩くと、「小倉城跡 入り口」の道標が… |
と小倉城跡の他、小倉集落、嵐山渓谷、下里一区などの道標…手作りですね | 遂に到着、小倉城跡入り口の石道標が… | |
青山城(ホトケハラ平場群)方面から、郭4の傍の虎口へ来て、郭2、郭1に来た。郭1に設置の案内標示より 縄張り図を引用させていただきました。等高線付きの縄張り図は臨場感があっていいですね! |
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城域に入ると、郭1に行くまで案内標示がない!郭4辺りと思われる。 | 郭4の周囲の土塁… | |
郭4の周囲の土塁… | 郭2の手前の大堀切と思われる… | |
郭2の一部か… | ||
郭2から下の帯郭部分を見下ろす… | 郭1へ歩く… | |
郭1に続く道… | 郭1への南虎口… | 郭1に入り全体を見渡す… |
郭1の東側、東虎口を見る… | 郭1にある、昭和49年10月に 建立の「小倉城跡」の説明碑… |
史埼玉県が設置の、 「史跡 小倉城址」の石碑… |
郭1にて、先ほどの石碑の裏から、郭1の全体を見る… | ||
北虎口(落枝注意)… | 北虎口から郭1を振り返る | 北虎口より下の腰郭を見下ろす |
腰郭…柵が作られている | 腰郭から郭1を見る… | 腰郭の淵の部分から下を見下ろす |
淵の部分より覗き込むと、 石積みが見える… |
柵の前に「嵐山渓谷方面へ」の標示 | 北虎口方向へ戻る… |
東虎口から… | 北虎口(落枝注意)… | 北虎口(落枝注意)… |
郭1と郭3の間の堀切 | 空堀壁面…自然岩盤を利用 | |
石積みが露出… | 郭3の壁面に石積みが多くみられる | |
このように木の根っこと一緒になって残存している… | 土嚢のようなものがところどころ見られる…補強しているようだ | |
この先に住宅が見えており、崖道を降りること試みたが、急峻で危険なため断念して、郭3の入口まで戻る | ||
大福寺の方へ降りる道(こちらから上がってくる人も多い)…非常に歩きやすい! | ||
大福寺の墓地の裏手に出た | 墓地に降りて、大覚寺を目指す | |
左大福寺のところで「小倉城跡」の案内標示…後ろの山が「小倉城跡」 | 大福寺からの道の傍で発掘調査中であった…この辺に居館があった | |
大福寺が遠くに見える | ||
バス停の方へ歩いていると、右にこの標識が…ここからも登城できそう! | 道なりに歩いて、この信号のある交差点で右折すると、バス停が見える! | 黒田のバス停、これで武蔵嵐山駅まで。…大福寺からここまで、徒歩で約20分 |
アクセス: 東武東上線「武蔵嵐山」より町営バス「せせらぎバスセンター」行で、 「黒田」下車、登山口まで徒歩20分 |
※「小倉城ー埼玉県比企郡ときがわ町」をYouTubeにアップしました。こちらをクリックしてYou Tubeのページにジャンプしてご覧ください! | |