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小谷城 滋賀県長浜市湖北町 2017.11.23 訪問お知らせ
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~ 築城主:浅井享政 築城年:永正13年(1516) 主な城主:浅井氏三代(享政、久政、長政) 廃城年:天正元年(1573) 主な遺構:郭、土塁、堀切、石垣 国指定史跡 日本100名城 日本五大山城~ |
- 小谷城は、長浜市の小谷山(495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城としていました。築城は1524年ごろで、中世三大山城のひとつです。湖北の大名・浅井長政と織田信長の妹で戦国一の美女といわれたお市の方、その間に生まれた3人の娘・浅井三姉妹(茶々、初、江)ゆかりの城です。城跡からは琵琶湖や湖北の地を一望することができます。
織田信長との戦いで浅井家が滅んだ後、羽柴(はしば)(豊臣)秀吉(ひでよし)に与えられましたが、秀吉は今浜(いまはま)(現在の長浜)に城を築いたために、そのまま廃城となってしまいました。小谷山全山におよぶ城跡の遺構から、当時の面影を偲ぶとともに、お市の方と3人の娘たちの生涯に思いをはせます。
自然の地形を利用して、東西の尾根づたいに各郭が配置され、本丸、大広間跡などから建物の礎石が出土しました。最頂部の大獄(おおずく)(495m)にも土塁が残っています。清水谷には、平時における浅井氏と家臣たちの館跡があります。昭和12年(1937)、国の史跡に指定されています。(奥びわ湖観光協会ホームページより小谷城の説明文を拝借しました。)
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戦国ガイドステーション手前の左側の山に、「史跡小谷城跡」の看板が見える…この看板の裏をバスで上がった。 |
戦国ガイドステーションから、小谷城バスで番所跡付近へ…番所跡付近の紅葉がきれいであった |
「追手道」の標示柱… |
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番所跡付近にあった案内板より、「小谷城跡絵図」を拝借…現在地のところから左方向に進み、山王丸跡へ進んだ…大嶽城跡方面へは、道が険しく断念した(雨上がりの足元が良くないこともあり)。 |
「金吾丸に至る」の道標… |
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「本丸跡まで約0.4km」の道標…案内表示が充実している。 |
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番所跡に到着…案内図は右の写真参照。 |
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番所跡の案内石柱… |
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番所跡を過ぎて登っていくと、眺望が開けている場所へ。 |
番所跡…登城道に面して石垣があり、周囲には腰郭が見られる。 |
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緩やかな登山道を進む…地元の小学生によるガイド隊が案内してくれた |
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本丸まで280m地点に来た… |
雑草が生い茂る、本丸に通じる大石段を上がる… |
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虎御前山展望所…晴れていればもっと良かったね。 |
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御茶屋(おちゃや)…内部には小規模な御殿があったと推定されている。 |
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本丸まで240m… |
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馬洗い池・御馬屋の案内表示板… |
馬屋跡の標示石柱と説明板…後ろに見えるのは土塁(約2.5m) |
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馬洗い池… |
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赤尾屋敷がこの右方向に…この屋敷が浅井長政最期の場所となった。 |
首据石とその説明板(六角氏側に内通していた家臣の首をここにさらした)… |
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赤尾屋敷の説明板…とか… |
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桜馬場跡の説明板… |
桜馬場跡全景… |
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浅井氏及び家臣の供養塔か… |
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小谷城最高の絶景地…遠くに竹生島、左に虎御前山等が見える。ここは、大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」にて、ロケ地に選ばれた場所(右下の写真参照)。 |
絶景地だが、重要な物見台であった… |
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長政とお市が琵琶湖を眺めるシーンなどで、この地でロケが行われた… |
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この辺にもきれいな紅葉が見られた… |
黒金門跡…大広間に設けられた門跡。 |
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黒金門跡の標示説明板… |
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大広間跡…千畳敷とも呼ばれていた。建物跡が検出されている。 |
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発掘調査の様子…小学生ガイドが説明してくれました。 |
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本丸・大広間の案内図・説明… |
本丸跡の説明板と石積・土塁…この石垣はもう少し高いが、ガイドさん。の説明では手前の土を取り除くと崩れる恐れがあるので、そのままにしてあるとか。この地点から左に行くと、大堀切跡を経て中丸後に行ける。 |
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本丸に上がって、案内看板を見る… |
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本丸跡付近…番所から400m来たことになる。山王丸方向へ引き続き行く。 |
本丸広場の端から、下の大堀切を見下ろす… |
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御局屋敷跡の標示・説明板…すいません、少しピンボケでした。 |
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本丸の端、手前方向が下に降りる道…一旦、下の段に戻り、大堀切に進む |
大堀切跡の標示柱と説明板… |
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大堀切の底に降りる…非常に幅の広い堀切だ。 |
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大堀切から、一段上にある中丸跡に進む… |
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左の写真のところの続き…この上が中丸跡。 |
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中丸跡に上がってきた…大堀切の北に位置して、三段からなる郭になっている。また、虎口を左右に振り分けて攻めにくくしているとの説明も。 |
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中丸跡側から大堀切を見下ろす… |
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中丸跡の標示柱…本丸から130mの地点 |
中丸の説明と案内図…三段からなる、最上段に刀洗い池がある |
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最上段に上がる虎口的な場所… |
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刀洗い池の標示石柱… |
最上段から中丸跡を見下ろす…なるほど、三段になっているようだ。 |
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中丸跡の標示柱から、更に、50m程上がってきた… |
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京極丸に着いた…京極氏の屋敷があったと伝えられている。大広間に次ぐ広大な郭である。 |
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小丸・京極丸の図面と説明板…ここの虎口は清水谷から登る「水の手」につながるが、小谷落城の際に秀吉が攻めあがった通路 |
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小丸跡…周囲には土塁が見られる |
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小丸跡の標示柱…山王丸まで160m |
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山王丸まで80mの地点に来た… |
崖下に腰郭が見える? |
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山王丸への虎口… |
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山王丸の標示柱… |
山王丸の説明と図面…山王丸は標高400mの小谷城の詰めの城にあたる。 |
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山王丸の全景… |
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山王丸跡の説明看板と標示石柱… |
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山王丸全景… |
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山王丸の北端部分… |
この先に、六坊跡・月所丸~大嶽城跡方向への通路… |
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ここも虎口的に、石積みらしい残存が… |
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山王丸跡の一角より西方を臨む…この辺もかなり紅葉が進んでいる。 |
すぐ上の写真のところから、このような通路が続いている… |
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「至 大嶽・清水谷」との標示案内板…ここから先は藪状態となり、雨上がりの山道は危険でもあり、ここで断念した。 |
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再び、麓の「戦国ガイドステーション」に来た。大河ドラマ放映記念として設置された由… |
戦国ガイドステーションにあった案内板より…右下の番所跡から入山して山王丸まで行き、そこから引き返した。番所跡付近で小谷城バスを待ち、ガイドステーションに降りてきた。 |
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小谷城周辺史跡案内図… |
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浅井長政・お市の方の像…(右の写真の)河毛駅前に設置されていた。 |
河毛えきから米原・京都方面への時刻表…本数は極めて少ない。 |
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アクセス:最寄りの駅、「河毛」駅からバス便があるが、便数が極めて少ない。タクシー利用がおすすめ。「北びわこふるさと観光公社」では、シーズン中、「小谷城バス」(戦国ガイドステーション・番所跡~中丸虎口)往復料金500円、を運営している。
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