小幡城 茨城県東茨城郡茨城町小幡 2015.2.12 訪問お知らせ |
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~ 築城者・築城時期 大掾義幹(だいじょうよしもと)が室町時代(1420年頃)築城説と小田光重(みつしげ)が鎌倉時代(1220年頃)に築いたという二説がある 主な城主 大掾氏、江戸氏、佐竹氏 廃城年 慶長7年(1602年) 遺構 郭、土塁、空堀、土橋、井戸 指定文化財 茨城町指定文化財 ~ | |||
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水戸街道(6号線)から小幡南で右折して、東関東自動車道を超えてすぐの城跡を目指す。一応、香取神社が目印か…神社の近くに入口がある。町指定史跡
小幡城跡の標示柱があり、すぐ横に(下の写真の)説明板が。縄張りう部分を拡大して、歩いたコースを図示してみた。右上(東側)が入口。駐車スペースもある。縄張図の① |
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小幡城跡の案内板… | |||
入り口から、物凄い空堀・堀底道…縄張図の① | 突き当りに、横矢が… | ||
こちらはコースになっていない、ロープが張ってある。上の写真の突き当り右側部分… | |||
ここが、ロープが張られている入り口で、 矢印方向に本丸・櫓台への堀底道が…② |
左の写真の通路を望遠で撮影。こちらもロープが張られて… | ||
本丸・櫓跡方向へ進む。ここは、通路として後年造られたとのこと…突き当りに「堀底道」の標示が。また横矢で左右に堀が分かれる | |||
「堀底道」の説明板… | また、突き当たって、横矢掛り…本丸・櫓跡への標識③ | ||
物凄い空堀(深さ10m位ある)の堀底道を櫓台方向へ進む… | |||
またも右クランク… | 更に進む… | 櫓台への入り口が近づいてきた… | |
櫓台・本丸への方向標示…④ | 左の写真の階段を上がって、やgら台とは反対方向に行くと、下の案内板があるところに出る。 | ||
上の案内板のところから土橋上の部分を振り返り見る。ここが枡形らしい形状… | |||
櫓台への通路から左側の堀底を見下ろす… | |||
櫓台跡だ!見える大きな木は「スダジイ」 (関西ではツブラジイ?)椎の木ですね…⑤ |
櫓台からのわずかに続く尾根道… | ||
五の郭方向を見る… | |||
五の郭内部…結構広い⑥ | |||
櫓台から、堀底道へ降りて、本丸方向へ進む… | 五の郭と本丸の間の堀底道… | ||
五の郭を見る… | |||
四の郭を右に見て本丸方向尾へ進む | 土橋…四の郭と五の郭を繋ぐ土橋 ⑦ | ||
四の郭の竹林… | |||
本丸…入り口すぐのところに案内板があり、手前に標示柱が… ⑧ | |||
左の写真の説明板…本丸と二の郭は城主及び重臣の居住地と思われるとのこと。 | |||
本丸…周囲には土塁の名残が | |||
井戸の説明板… | 井戸… | 井戸をのぞき込む… | |
本丸の前の堀底道へ降りる通路の右方向、四郭の満タンの稲荷神社を目指す… | 四郭の端を歩いて、右の写真お稲荷神社へ。 …神社というより社て感じですね! |
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四郭内部の竹林を見る… | |||
再度、本丸前…出口方向へ歩く | 三の郭を右に見て… | 更に、少し歩くと… | |
右に横矢がかかり… | 二の郭と三の郭の間の空堀を右に見て、左が出口… | 三の郭と二の郭の間の堀底道だがロープが張られている… | |
何とか工夫して(別ルートから)二の郭に上がって見た…かなり広い⑨ | |||
二の郭の北側の堀底道を見下ろす…右端に小屋が見える | |||
二の郭の北側の堀底道から、入口への切通口を経由して、最初の入り口のところの堀に戻った… | 最初の、入ってすぐ右側の空堀(ロープが張ってあったところ)を望遠で撮影…入れそうにないですね! | ||
入口のところに戻り、香取神社から城跡全体を見る… | 香取神社…小幡城の鎮守 ⑩ | ||
北西側から小幡城跡方向を見る。手前に東関東自動車道が建設されて、曲輪は分断された。この辺に土門(大手門)跡があると聞いたが、見当たらず…右側の写真の「城跡碑」はあったが… | |||
中世城郭の遺構、圧巻の土塁と空堀がどぉ~んと眼前に広がる。複雑な縄張と迷路のような堀底道。関東屈指の中世城郭で、おススメです。しかし、アクセスが大変~公共交通機関では、常磐線石岡駅か水戸駅からのバス便になるが、便数が少なく非常に効率が悪い。現地に行くにあたって、地元茨城町(窓口生涯学習課)に問い合わせのしたところ、大変親切に道案内の説明を頂いた。感謝です! | |||
アクセス:JR常磐線 石岡駅あるいは水戸駅からバス。バスの便数が極めて少なく、レンタカー・自家用車利用がおススメ! |
※「小幡城ー茨城県茨城町、圧巻の土塁と空堀の中世城郭!」をYouTubeにアップしました。こちらからYou Tube のページにジャンプして、ご覧ください。 |