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額田城 茨城県那珂市額田南郷 2019.4.3 訪問お知らせ
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~ 築城主:佐竹義直(佐竹氏五代義重の二男) 築城年:建長年間(1249~1256) 主な城主:小野崎氏(佐竹13代義人に攻められ落城し、額田氏は滅んだ。小野崎氏は義人の家臣だった) 廃城年:天正19年(1591) 主な遺構:郭、泥田堀。空堀、土塁 那珂市指定史跡~ |
- 額田城は鎌倉時代の建長年間(1249~1256)に佐竹氏5代義重の二男義直がこの額田の地に築城し、その後拡張を続けて戦国時代に現在の規模になったようである。城域内には四つの郭が構築され、一地方の小領主の城としては規模が大きいものである。前に大沼を持ち防御に適した平城形式の城である。城跡は濠・土塁など戦国時代の遺構をよく残している。
- 額田氏は10代義亮の時、佐竹宗家と対立し、応永30年(1423)佐竹13代義人に攻められて落城し、額田氏は滅んだ(前の額田氏)。その後義人の家臣小野崎氏が城主となり、江戸氏から養子を迎えるなどして以後7代照通まで続いたが、天正19年(1591)佐竹20代義宣に『照通に異心ありあり』として責められ落城した。
- 照通は陸奥へ逃れ、以後廃城となった(後の額田氏)。城の歴史は17代約340年続いた。阿弥陀寺は明徳3年(1392)に小野崎従道により大山(城里町)から場内に移されて額田氏の守護寺となった。
- 本丸跡面積 約16,000㎡ 指定区域面積 約77,000㎡ 城郭全体 東西1,140㎡ 南北 840㎡
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- (那珂市教育委員会が、阿弥陀寺境内に設置の案内板 「市指定文化財(史跡) 額田城跡」より
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額田駅前に設置の「那珂市額田地区附近まちめぐりマップ」…現在地のところから、真っすぐ右(東)に進むと、額田小~額田地区交流センターに。交流センターのすぐ横に、空堀跡が。 |
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JR水郡線「額田」駅…無人駅でSUICAも使えない。 |
「額田地区交流センター」向かいに残る空堀… |
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額田小学校…この辺は旧城域(外郭)に当たる。 |
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右上の空堀をどんどん進んだが、この辺で藪状態で断念… |
「交流センター越しに先ほどの空堀のある城跡(空堀があった場所)を臨む… |
額田城跡遊歩道に入り南方へ進む… |
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「遊歩道案内図」…現在地のところから、主郭に沿って右方向へ歩く… |
遊歩道を進み、この地点で左折…案内標示が整備されていて迷うことがない。 |
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前方に湿地帯的な場所が…左の地図の堀(沼)状の場所。 |
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沼状の堀跡を板橋で渡る… |
渡ってから、右回りで主郭の裾を回る… |
案内図の現在地のところに来た… |
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先ほど渡ってきた板橋が片庭橋…本丸方向へ進む。 |
城域に入ってきた…空堀が見える? |
空堀…この右上が主郭方向。 |
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上の右端の写真の空堀の反対側(東方向)を見る… |
東側に来ると、堀・土塁らしくなってきた… |
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上の写真の空堀を、左回りで進む…この濠は一部湿地状態なので、土塁上を歩いた。 |
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堀底は湿地状態なので土塁上に上がり、東~北方向へ回る… |
堀底を見下ろすと湿地状の部分が見える… |
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堀に沿った通路を進む…この先には二の丸・三の丸が… |
東南側への通路…やはり堀底は沼地状態部分がある。 |
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上の写真の続き部分…開けて見える… |
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二の丸と本丸の間の堀…左の通路を通れば主郭だが、先ずは右の土塁上に向かう。 |
左下の写真の場所にあった、縄張り図… |
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堀底を横切って右の写真の場所へ… |
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右上の案内板があった場所。図面の「現在地」のところ… |
濠に沿って北上する…反対側が主郭 |
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この主郭と二の丸の間の堀は見事だ… |
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堀底道に降りて、主郭へ上がる階段へ… |
この上が主郭(本丸)部分…この階段を見ても、この空堀の規模の大きさがわかりますね。 |
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上の写真の続きで部分…分岐地点の「額田城」の幟が見える。 |
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主郭に上がり、先ほど通ってきた堀を左(北)に見て、主郭中心部に向かう… |
上の写真の分岐部から、右(西)側を見る…最初、板橋を渡り入ってきた方向を見る。 |
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主郭部に入り、南側(主郭中心部)を見る… |
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左(北)側の堀に沿って歩い散ると土塁上に「本丸」への案内標示が… |
二の丸との間の堀に面したところに立っている案内板…この堀は幅約20m、深さ約9mとの説明が。 |
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二の丸跡に来た…北東端には土塁が残っており、土塁の北東端が一段高くなっているのは物見台あとか(説明版より)。 |
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この場所が、上の写真の説明にある「物見台跡」のところか… |
左の写真の土塁の続き部分… |
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上の写真の土塁上から堀底を見下ろす… |
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二の丸と三の丸の間にかかる土橋の入り口にあった、案内板と注意表示…右の写真は土橋の上から堀底を見たもの |
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旧三の丸を見る…宅地・畑地化されおり遺構はなさそう。 |
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旧城域である「阿弥陀寺」に来た…阿弥陀寺は明徳3年(1392)に小野崎従通により大山(城里町)から場内に移されて、額田氏の守護寺となった。(現地説明版より)右の写真は、現地に残る土塁の残存と思われる。 |
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右上の写真の土塁上に上がってみた…この土塁が外郭の周囲を巡っていたのだろう、墓地にも一部残る。 |
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阿弥陀寺の墓地が北方向にあるが、その北端部分に残る堀・土塁跡… |
右上の土塁の、右側には当時の堀の雰囲気を残している… |
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墓地内にあった説明版…徳川光圀の養女「万姫」の墓があった。 |
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アクセス:JR水郡線「額田」駅下車徒歩約30分(2.3km)…額田駅は無人駅で駅前にはタクシー溜まりもないので、タクシー利用の際はネットで検索など事前チェックが望ましい。
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