二本松城 福島県二本松市郭内三丁目 2014.5.13 訪問お知らせ |
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~ 築城者 二本松満泰 築城年 室町時代中期 主な城主 二本松氏、伊達氏、蒲生氏、加藤氏、丹羽氏 廃城年 1872年(明治5年) 遺構 天守台、堀、石垣 指定文化財 国の史跡 再建造物 箕輪門 日本100名城(11番) ~ | |||
二本松城は、室町時代中期に奥州探題を命じられた畠山満泰が築造し、以後、畠山氏歴代の居城として、140年余り続きました。その後天正14年(1586年)伊達正宗の南奥制覇のために落城しました。豊臣時代になると二本松城は、会津領主となった蒲生氏郷の重要な支城として、中通(仙道)警備の任を与えられました。二本松城に石垣が積まれ、近世城郭として機能し始めたのはこの頃だと推定されます。その後、徳川時代初期も会津領として、上杉氏、蒲生氏、加藤氏らの支配下にありました。とくに、加藤氏支配時代には本丸を拡張したことが石垣解体調査で確認されました。二本松藩が誕生した寛永20年(1643年)、初代藩主丹羽光重が10万700石で入城し、幕末まで丹羽氏10代の居城として、220有余年続きました。戊辰戦争に際し、西軍との徹底抗戦で城内・家中屋敷のすべてを焼失し、慶応4年(1868年)7月29日に落城しました。(資料 二本松市教育委員会が現地に設置の案内板より) | |||
JR東北本線二本松駅より徒歩20分 | 二本松駅から、西方向に歩くと、すぐ二本松神社が見えてくる。丹羽光重公が城内の八幡宮と熊野宮を合祀して、総鎮守の御両社として遷宮。 | ||
大手門跡 奥州道に面したこの地に大手門を建造したのは丹羽家入封後190年ほど経た9代藩主永富の治世であった天保3年(1832)であった(現地案内板より抜粋)…案内板にあった、左の絵にも、手前に大手門が描かれている。 | |||
枡形に配された石垣の残りが… | |||
二本松市歴史資料館 | 久保丁門跡 久保丁門は丹羽光重により城内整備の一環として久保丁坂の頂上に築かれた。この資料館の庭に礎石が残る。 | 丹羽家上屋敷(江戸)跡出土の石垣石材 発掘調査終了後石垣の一部の譲渡を受け、当地資料センターに平成19年位展示・公開となった。 | |
資料館を出てまっすぐ進むと「県立自然公園 霞ヶ城」の入り口部分に到着 | |||
旧二本松藩「戒石銘碑(国指定史跡)」:藩士の戒めとするため、5代藩主高寛公が藩儒学者岩井田昨非に命じて、 通用門前の自然石に刻ませた4句16文字の銘文。右の写真を拡大すると少しは読める。 |
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霞ヶ城の箕輪門へ通じる入口 城址碑の右側部に二本松少年隊群像が見える。 | 階段の右手に「史跡 二本松城跡」の碑 | ||
千人溜 上の写真の城跡碑の手前にあった標柱 | |||
箕輪門の横の石垣 | 「大城代内藤四郎兵衛戦士の地」…城門を開いて敵勢に切り込み獅子奮迅の末、壮絶な戦死を遂げた、との説明が。 | 箕輪門 光重公入府直後、御殿と共に最初に建造した櫓門。 | |
箕輪門を入ったところの広場 塀には狭間が設けられているがちょっと 位置が低すぎる? |
箕輪門を内側から見る | ||
三ノ丸から本丸方向への通路 | |||
三ノ丸の下段への通路の横に湿地帯的な場所が… | 三ノ丸下段から上段を見上げる | 三ノ丸下段全景 | |
再度、三ノ丸上段から本丸方向へ、緩やかな坂を上がる | 二本松藩士自刃の地 「主戦論者であった家老丹羽一学、城代服部久左衛門、小城代丹羽新十郎の3名が責任を取り自刃し壮絶な最期を遂げた」と記されている。 | ||
右の地図の現在地の場所より煙硝蔵、松森館跡方向を見る | 城跡案内図‐現在地のところ。硝煙蔵方向へ行くが、硝煙蔵と松森館をン特定できず。 | ||
硝煙蔵後と思しき場所…よくわからず | |||
日影の井戸 千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」と並び「日本の三井」とい称されている。昭和の初期頃までは俗称で「底なし井戸」と呼ばれ、深さは約16mある。更に井戸底の岩盤をえぐって北方に約14m達していますが、今でも豊富な湧水を溜めています。 | 先左の写真の場所のすぐ右側 | ||
本丸に続く通路 | 大石垣と、その上の本丸の石垣壁を見る | ||
枡形虎口 この上に天守台 | |||
天守台から見下ろす…南側を見る | 天守台 | ||
東櫓台 | |||
天守台より西櫓方向を見る | 天守台より北の方向を見る | ||
天守台より西櫓台を見る | 本丸及び後方(南方)を見る | 本丸から東櫓台を見る | |
丹羽和佐衛門(城代)・阿部井又之丞(勘定奉行)自刃の碑 | 本丸を降りて裏側へ行く | 反対側(北側)を見る | |
北側石垣下から天守台を見上げる | 往時を偲ばせる石垣が… | 奥州探題畠山氏居城 霞ヶ城址の碑 | |
本丸から西方の搦手門に… | 近世の搦手門があった場所… 高麗門であった可能性が高い |
搦手門を外側から見る | |
搦手門内部に残る石垣 | 搦手門の裏側に階段がある?! | 搦手門から新城館方向(手前)へ | |
二本松少年隊顕彰碑 | |||
二本松少年隊 レリーフ | |||
新城館 | 智恵子抄 詩碑 | 二合田用水 光重公入府まもなく、城防備を目的に安達太良山麓より延々18kmもの距離を城内各所に引水した用水(幕府には内密だった?) | |
公園全体の案内図 | 洗心滝~洗心亭方向へ降りる道 | ||
上の道の手前、堀切状の箇所が | |||
洗心滝 | 丹羽神社 | 天守台より西櫓方向を見る | |
本宮館 | 洗心亭 城跡内に唯一残る江戸期の建造物で、木造茅葺・寄棟平屋造りの茶亭 |
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霞池を見下ろす(訪れた時は藤棚とツツジがきれいだった) | 洗心亭を下から見上げる | ルリ池(光重公時代の造園の姿を今に残すとか) | |
アクセス:東北本線二本松駅より徒歩20分 二本松駅前にあった観光案内図。この地図の下部の駅から、二本松神社→大手門跡(通称坂下門)→戒石銘碑→霞ヶ城公園のルートで散策した。 |
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