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全国城めぐりネット
七尾城 石川県七尾市古城町
2022.11.18 訪問
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築城者
畠山満慶
築城年
1428-1429(正長年間)
主な城主
畠山氏、上杉氏、前田氏
廃城年
1,589年(天正17年)
遺構
郭、石垣、土塁、堀切、虎口
指定文化財
国の指定史跡
日本100名城
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七尾城は、室町幕府の将軍を補佐する管領職を勤めた畠山氏の有力庶流として、応永15年(1408)に独立した能登畠山氏(能登国守護)が、戦国時代(16世紀初頃)に能登府中(守護所)にかわる新たな拠点として築いた山城です。
七尾城は、標高300mの山頂部に所在する本丸を中心として、北側の山麓までのびる尾根一帯を造成して、曲輪(屋敷地)を多数築いています。こうした曲輪が築かれている尾根が七つ(筋)あることが、七尾の地名の由来と言われております。
現在地は、七尾城の中心部北端に位置する「二の丸」と呼ばれる曲輪です。本曲輪は尾根を大規模に造成し、南側斜面に石垣を二段積上げておりますが、このような造成段による曲輪を計画的に多数連ねていることが七尾城の特徴で、その規模と構造は、国内でも屈指とみられっています。また七尾城の麓には京都の禅僧が天文13年(1544)に記した『独楽亭記』ににみる、千門万戸の家々が軒を連ねる城下「七尾」が連続して形成されていたことが明らかに明らかにされ、山上の山城と山下の城下が一体となる北陸を代表する戦国都市でであったことも確認されています。国宝「松林図屏風」を描き、画聖とうたわれた長谷川等伯は、天文8年(1539)に京風の畠山文化が開花する七尾に生まれ、その才能を育んでいます。平成18年4月には、県内では金沢城とともに「日本100名城」に選ばれています。
(七尾城の二の丸付近にあった案内板、「史跡 七尾城跡」より抜粋・引用)
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